Montag, 13. Oktober 2014

ベルリンの…壁

ベルリンで壁と云っても,例のアレではありません。歩いていて見つけた,強烈なる現代芸術やらメッセージ落書きやらをここで集めてみようと思いました。








私は大抵の場合東ベルリンにおります。東ベルリンにはやんちゃな街区が結構あって,特に目指さずともケッタイな“壁画”にはそれなりに出くわします。直接壁に描いてしまった物もあれば,ちょっとやそっとでははがれない方法で貼り付けられた紙もあります。西には高級住宅地があるんですが,そっちの様子は殆どわかりません。
この記録の塊中最下段のふたつは西ベルリンのSバーンホームから見える物ですが,ここに載っている数値を見ると,公的な壁画である可能性も出て来ます。この駅から無辜の民が連行/移送されて命を落とした,もう二度とこんな歴史を繰り返してはならない,的な。

と,マジメに語っておきながら私の今期一番のお気に入りは…


どーーーーん。これです。マウアーパークの側にありました。なんの為の建物かは知りませんが,ここまで見事な出来だと素人のイタズラではないんじゃないでしょうか。アヒルちゃんが手前のセイタカアワダチソウとバッチリ調和してますが,まさか描き手にそんな計算は働かなかったでしょう。

観光フォトを撮らなくなって早数シーズン。自分の記録を見ても,これ以上のネタはかき集められなかったので,この壁画コレクションを以てベルリン報告は終了です。

Mittwoch, 8. Oktober 2014

kein S-Bahn Verkehr

毎度の事ではありますが,工事。


もはや夏の風物詩なんでしょうか,ここ暫く,ドイツのどこに行っても公共交通の工事に当たっている気がします。
この記事の件名は看板に合わせて「Sバーン不通」としましたが,前回滞在中はU6の一部が閉鎖されていましたし,どこで出るかは行って知る事になります(事前に調べておかないので)…って今年もU6,イジってたけど…。
とは云え大抵の場合は自分のメイン路線を外してくれていたので,少しばかりの不自由で済んでいたワケですが,今期は違いました。私のヘヴィ路線が滞在中完全に閉鎖されていたのです。大充実の公共交通網を誇るベルリンでは当然代替案は容易に見つかりますが,町自体が大きいので,迂回路線を取るとアホみたいな所要時間にゲンナリする事になります。停車駅数は数倍増(体感的?には3倍)。何度も来ている場所では新しい路線の発見に気を良くする事もなかなかありませんし,効率路線を奪われるシンドさが身に染みて,この2週間はホントに,「おえー」の連続でした。閉鎖中の駅で面白そうな蚤の市が開かれていたんですが,そこまで行くのが億劫になり,諦めました。



ホームライン?のみならず,トイフェルスベルクの最寄り駅でもやられました。元々10日,蚤の市を冷やかした後に行こうと思いそのつもりで時間配分もしたんですが,行ってみたらまさにその日(正しくは11日の1時半頃ではありますが)までSバーンが動いていませんでした。あとほんの数駅のところで寸止めを喰らった格好です。東ベルリンからトイフェルスベルクの最寄り駅に行くには相当な時間が必要になります。代替バスの運行状況が見えませんでしたが,どうしたって鉄道より速くも本数が多くもならないだろうし,駅を降りてから暫く歩かないと山には辿り着かない事を考えたら,もうその日にムリする元気を完全に失って,看板で引き返してしまい,後日出向いた次第。



このような看板の前には係員のオイチャンが立って,困り顔の観光客の相手をしています。ヴァカンスシーズンだからこその工事なのかとは思いますが,勝手のわからない観光客が大挙する時期にこうするのも当局の余計な仕事を増やしていそうな気がしてきます。

次は引っかからないで欲しいなぁ…。

Samstag, 4. Oktober 2014

トイフェルスベルク Teufelsberg

ベルリンは高低差の殆どない都市ですが,標高120メートルの山が実はあります。それがトイフェルスベルクなんですが,これは第二次世界大戦中に町が完膚なきまでに叩きのめされて発生した瓦礫を積んでできた人工の山だそうで,無神経なことにその場所にアメリカ軍が盗聴の為の,続いて空の安全を見張る施設を建て,冷戦終結まで居座ったようです(ものすごくカンタンに言っております)。
無神経と申し上げたのは,瓦礫の山が出来る前のこの場所には第三帝国のゲルマニア計画に基づく建造物が建てられようとしていたから(多分完成はしなかったと思うんだけど…自信ナシ)なんですよ。位置的に占領地区と偶然合致したからと云うだけかも知れませんが,ニュルンベルクにある党大会場跡地の総統お立ち台で傲慢なポーズをとるアメリカ人観光客を目撃した私は,このやり口に同じ物を見てしまうんです。

現在ここには既に使われなくなって久しい当時の遺構が残されていて,ガイドツアーで中に入れます。当日会話した近隣在住のオッサンによれば,昔はガイドなんておらず,勝手に入れたそうです。内部も外部もスプレーアート?まみれになっているんですが,ガイドツアーが始まる前から存在していた場合,ガイドがつくようになったのは廃墟を守る為なのかこれらの作品を守る為…なんでしょうか。どっちでもあるのかな。
ガイドはガイドでありながら客を廃墟内に入らせ誘導する事だけに徹し,「質問があったらして」と言って休憩ばかりしてました。
2014年8月現在,ガイドツアーは2種類。ただの案内が7ユーロ,歴史的な講釈をたれる物が15ユーロでした。私が出たのはただの案内の回でしたから,込み入った質問をすれば「歴史ツアーの方に出て」と言われかねなかったんだろうと考えてます。










…ま,こんな感じでした。
ここについて,私はお友達と一緒に行こうかと相談していたんですが,スケジュール的にどうにも都合がつかなくなり,お友達より先に単身で乗り込みました。そして持った感想が上述したとおり。これを後日お友達に報告すると,「そんなのに7ユーロ?ムダだねー」とケチ根性を炸裂させ,やる気を完全に失い,行くのをやめてしまいました。ははは…。

因みにベルリンにはもうひとつ山がありますが,そっちは自然の物だそうです。この人工物の名を訳せば「悪魔の山」誰が名付けたのか,素晴らしいセンスだと思います(イヤミじゃなく,本気で感心しております)。

Mittwoch, 1. Oktober 2014

ベルリンの蚤の市(2) Berliner Floh- und Trödelmärkte (2)

前回に引き続き,ベルリンの蚤の市報告です。



マイバッハウーファー Neukölln Flohmarkt

お友達がみつけた市です。隔週で手工芸作家が出店するデザイン市になり,この日曜がそれに該当するというので,時間的制約から同行は出来ませんでしたが,私も出向きました。
とんでもなく狭い一角にムリヤリブースを並べてキュウキュウの状態でやっていて,すれ違えないような通りを喫煙しながら立ち止まる客があまりに多くて完全に萎えつつ,往復だけして退却したようなもんです。
肝心の手工芸作家とかデザインショップとか,何店もなかったような。尤も私がやる気を失っていたから見落としただけかも知れませんが。






ボックスハーゲナープラッツ Flohmarkt am Boxhagener Platz

四角い広場…って広場は大抵の場合四角いんですが,この広場の真ん中は噴水公園と云うか緑地帯と云うかなので,その周りを囲む石畳の上で店が出されます。広くはありませんが,公園の外周の道を使える分,広さを考えたら出店数は多めかな。
辞書屋さんはあやしいですが,基本的には「うちから持って来ました!さっきまで使ってました!」っぽいラインナップ。ここも面白かったです。
市には辻音楽師やアーティストが小遣い稼ぎなんでしょうが現れます。









6月17日通りの蚤の市・アート市の撤収風景 Nach dem Trödel- und Kunstmarkt Straße des 17. Juni

蚤の市情報は日本のオシャレ気取り雑誌から得ました。その中でここの市は「ベルリナー・トローデルマルクト」とされていました。間違いではありませんが,そのまま訳せば「ベルリンの蚤の市」と言っているだけであり,そんなものはいくらでもあるワケで,気に入りません。ベルリンで呼ばれている通り「アート市」も併称すればここの事と特定出来ますが,そこは勝手にはしょってる。
おそらくは蚤の市=Flohmarktまでたどり着いたところで満足し,Trödelmarktは固有名詞とでも思ったんでしょう。えてしてオシャレ雑誌は作り手の不勉強と勝手な判断が露骨に現れ不愉快になります。私は現地で通用している名称を日訳しました。その雑誌によればここは観光客向けでボっているらしく,元々興味は薄かったんですが,行くだけは行こうと。
…が,間に合いませんでした。日曜にしては朝から早く行動出来ていたのに他で堪能し過ぎて,着いた時には終わっていました。
ここに限らない事なんですが,縫いぐるみとか人形とか,よく見かけます。そこに並んでいるだけで寂しくなってしまいます。お友達とか兄弟とか,そんな気持ちで接して一定の時を一緒に過ごしたであろう品をよく売りに出せるなぁ…と。物離れ出来ない私だから思うんでしょうか。
誰か買ってってあげてよ…。