シューベルト最後の住居 Schubert Sterbewohnung
オーストリアの歌曲王シューベルトが臨終を迎えた住居は,現在当局の管理の下一般公開されています。
この建物の前は何度も通ってきたけれど,見学云々について意識した事が今までなく,今期も外観を観ようと出向いたところ,公開時間が出入り口の横にくっついているのを発見。閉館まで残り45分と云う状態ではありましたが,“耐乏生活”を送っていたシューベルトの住まいが豪邸である筈がない(→短時間でも見学可能だろう)と判断し,入ってみる事にしました。
我々が見ることの出来る部屋は3つだけ。右下の記録は住居内の廊下ではありません。管理の為に一部使われている事を考えても,非常に小さな住まいです。耐乏生活と申し上げましたが,それには疑いの眼も向けられているようです。しかし貧乏でなかったにしてはどう見ても歌曲御殿とは言い難い住居…。金をつかんでも使う前に病魔に侵されてしまったんでしょうか。
3年前に見学したライプツィヒのシューマン邸の立派さが思い出されます。
中には往時の記録がいくつか展示されています。下段左は墓所の為のデザイン画ですが,実際の墓石はもっと簡素なものでした。そしてその隣。窓からの景色…ではなく,この結露に眼が留まりました。二重ガラスなのに!ここは欧州なのに!と云うツッコミをしたかったからではありません。この住居にシューベルトがいた時,本当に貧乏だったとして,この窓は結露したんだろうか,しなかったんじゃないかと考え,非常に寂しい気持ちになりました。
展示の中には「5日(ウロ憶え)食べてない」と本人か兄のフェルディナントが人に書き送った物がありました。その状態で暖も取れなかったとしたら地獄だな…。
閉館ギリギリになる事もなく,淡々と見学し淡々と退出。その時点でまだ残り何分もあり,最終入館時間を設定するような大きな施設でもないのに,店番のオッサンは私を送り出すと同時に消灯をし始めました。いいのかあれで?
我々が見ることの出来る部屋は3つだけ。右下の記録は住居内の廊下ではありません。管理の為に一部使われている事を考えても,非常に小さな住まいです。耐乏生活と申し上げましたが,それには疑いの眼も向けられているようです。しかし貧乏でなかったにしてはどう見ても歌曲御殿とは言い難い住居…。金をつかんでも使う前に病魔に侵されてしまったんでしょうか。
3年前に見学したライプツィヒのシューマン邸の立派さが思い出されます。
中には往時の記録がいくつか展示されています。下段左は墓所の為のデザイン画ですが,実際の墓石はもっと簡素なものでした。そしてその隣。窓からの景色…ではなく,この結露に眼が留まりました。二重ガラスなのに!ここは欧州なのに!と云うツッコミをしたかったからではありません。この住居にシューベルトがいた時,本当に貧乏だったとして,この窓は結露したんだろうか,しなかったんじゃないかと考え,非常に寂しい気持ちになりました。
展示の中には「5日(ウロ憶え)食べてない」と本人か兄のフェルディナントが人に書き送った物がありました。その状態で暖も取れなかったとしたら地獄だな…。
閉館ギリギリになる事もなく,淡々と見学し淡々と退出。その時点でまだ残り何分もあり,最終入館時間を設定するような大きな施設でもないのに,店番のオッサンは私を送り出すと同時に消灯をし始めました。いいのかあれで?