Dienstag, 31. Juli 2012

ポストカードの整理その後

黄金週にデフラグを行った際,ポストカードをひとまとめにしたんですが,その束を解体する事に,今月上旬に夢中になっておりました。
まさに,この時以来です。この3年の収穫物も足し,日々ガツガツと登録を続け,どうにか取得年順の整理が終わりました。2,400枚くらいかな。一般的なサイズの雑誌を寝かせて20冊くらい入れられそうな箱をふたつ(見る人が見ればこの画だけで出所が判りそうなもんですが,ま,このくらいの表現に留めておきましょう),この為に使いました。




始めたら止まらなくなりコンプリート欲が出てしまい,実家に置きっぱなしにしていたポストカードまで持ち込み,…その結果,大量の難民の存在が明らかになりました。
2001年までは採番までしていたのです。取得順に並べているつもりでしたから,登録漏れした古い束が見つかった時はガッカリしてしまいました。実家の私の部屋はデフラグされていないので,多分色んなところにそれなりの束が埋もれている事でしょう。
おえー,これじゃ永遠に終わらないぞ。

でも,今回見つけてしまった古い束には今は手をつけない事にしました。渡航直前に風呂敷を広げたら収拾がつかなくなります。半端ではあるけれど,他に優先させなきゃいけない事が飛ぶ前にはあるので,続きは帰国してから。

日曜に出発します。いつもの直前のダルい感覚は健在です。鬱屈とした生活から一時的にでも逃れられるのに,この感覚が失われずに当たり前にやって来るとは…逃避願望が日々強まってても自分自身の核はそう簡単には変わらないものなんですねぇ。

Sonntag, 29. Juli 2012

接待

私がだんまりを決め込んでいた間,ドイツからお友達が来,横浜と東京に滞在していました。
外国からお友達が来るのは13年振り2度目です。大抵のお友達は日本に興味すら持ちません。私はそれでいいと思っています。彼等が私の国籍ではなく,私自身を選んでくれていると解釈出来ますので(この考えおかしい?)。




横浜ではベタ中のベタ,中華街から山下公園を経てみなとみらいまで。私自身横浜の事なぞ知ってもいないので,これ以上出せません。逆にラクでした。


本人には色々と希望があったので,東京での行き先はそれを勘案して考えていたのに,いざ来てみたら「そんなの後でいいから繁華街に連れてけ」と。多少ムッとしつつも(お友達は私がこんな物を書いている事を知らないし,仮にバレてたって私が何を書いているかは解らない筈。ウフ)六本木−西麻布,新宿,表参道−渋谷,銀座に連れて行きました。
本人の特に強い希望を叶える為に,合羽橋と麻布台へも。



渋谷ではナゼかケラレ続けました。渋谷でだけ…なんでだろう。



私は自分の用で出向いた時はなんでもかんでも撮るのに,ガイド業を務めている間は頼まれてもいないのにヘンなプロ意識を発動させると云うか,自分の興味でカメラを構える気持ちになれないんです。それを押してどうにか記録した物をここに載せているワケですが,合羽橋ではどうしても撮れなかった。合羽橋ではもう,カメラを構えはしたものの,ファインダーを除いては断念…の連続。なんて汚い(不潔と云う意味ではない。あくまで美観について言及)町なんだ…と。1枚も記録を取っていません。専門店でズラリと並ぶ品物と,それを真剣に選んでいるお友達を撮ってあげればよかった。今思っても仕方ない事ですが。
麻布台は合羽橋のような美観ゼロの地区ではありませんが,ランドマーク的な物がなく,例えば私なら面白い建物を撮ったりするんですけど,そう云う目的で歩いていないのでこれまた記録しようがなかった…。



外国人には例の問題がやっぱり気になるらしく,あの様子ではもう日本には来ないと思います。大気中の線量はそのうち減るでしょうけど,本格的な土壌汚染はこれから…なんですもんね。来る前に,「実際のところはどうなんだ」と質問され,その時ニュースで言われていた事をひととおり説明し,日本人だけの意見では信用されないだろうと思ったので,在日外国人の意見も聴いて教え,その上で「ある程度安全とは言われてるけど,来るか来ないかは自分で決める事だよ」と返しました。自分自身が専門家でない以上,伝わって来る事の信憑性を証明する事なんて出来ません。危ない眼に遭って欲しくないと云う気持ちはありました。外国人なんですから,いずれにしてもここで生きなきゃならない我々と違って,リスクをわざわざ背負う必要なんてないワケですからね。

本人はしかし,日本にやって来ました。本人自身は自らの意思で来た以上,ある程度は仕方ないと思っていたのかも知れません。でも廻りの人達の無神経な言葉をいちいち私に報告してきたり,小雨が降り始めただけで「被曝する」なんて言ったり…これは愉快ではありません。「黙っててよ,こっちだって仕方なくここにいるんだから!」とケンカ腰にもなりました。ヨーロッパで生活する者の頭にはチェルノブイリへの恐怖が常にあるそうです。去年の3月,私はヨーロッパの皆さんから「そんなところにいるな,こっちに避難しろ!」とよく言われていました。でも仕事を投げ打つ勇気もないし,何より自分だけのうのうと疎開して親とネコ(ネコには関係ないのか?)は置き去りなんて…それはイヤでした。

本人はこれだけ怖がっていたのに,なんと,ベルリンの方が東京より線量が高かったんです。都内のホテルに貼り出されていました。お友達は「風向きのせいだ,たまたまだ,今だけの事だ」と頑張ってはいましたが,この時ばかりはザマーミロと思いました。「オマエもアタシ達並みに汚染されてるんだよ,帰ってせいぜいビクビクしてろ」と云う気持ちからではなく,私の心に傷を負わせた事への報復の感情から。
こんな気持ちになりはしたものの,総合的には楽しく,別れる時はそれなりに寂しかったです。

ま,私ももうそろそろ,東京以上の放射線を浴びにドイツそれもベルリンに行くワケですけどね…。

Mittwoch, 25. Juli 2012

La Folle Journée au Japon 2012と

5月の東京ゲートブリッジに続く6月のネタはクラシックのコンサート。2企画計4公演,行って来ました。



5月は再びのラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンでした。2008年に初めて出向き,大嫌いになった企画ではありましたが,今年のテーマがロシア音楽だったので,結構悩みはしたものの,やはり行く気になりました。
最も聴きたかったプログラムはどんな方法でもチケットを取れずガッカリしましたが,取れた次点の2公演には満足しました。演奏のクオリティを云々出来るだけの耳は私にはありませんので黙っているとして,何が良かったかって演奏を聴く条件がもぅ。

19時台と21時開始のプログラムを続けて取りました。プログラム間には時間的な余裕があり,また夜だからなのか,非常に子供が少なかった…私の席のすぐ近くにひとりいましたが,全く騒いだりグズったりしませんでした。21時台の演目ではアンコールに応えるサーヴィスまで。その日の最後の公演ならムリが利くのでしょうか。それとも最後でなくてもやれればやってくれるのかな?経験値が限りなく低くて実態がわかりませんが,元々これ目的だった曲を演奏してくれたので嬉しかったなぁ。いい気分で家に戻りました。

今回,私のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンに対する反感がかなり弱まりました。行くなら夜だな。
クラシックファンの裾野を広げる為に,ラ・フォル・ジュルネは子供を受け入れる以外に,価格設定を安くしています。
そのせいなんでしょうか,コンサート後の有楽町駅には楽器を背負った外国人が大挙してました。…どこに泊まっていたんでしょう。電車で移動しなきゃいけない場所なんて気の毒に。



6月のコンサートは,お友達が参画した楽団の公演でした。だいぶ前から本人に聞いていたので,売り出されてすぐにチケットを2公演分購入。少なくともこのどちらかで,本人が演奏する事を聞いていましたので。

チケットの売り出し,早過ぎやしませんでしょうか。私のように目的が別のところにある場合,発売時期にはまだ多くの事が未決状態なのです。決まっているのは指揮者と演目だけ。勿論,一般的には皆さんそのどちらかで決めてしまうんでしょうが,私の場合,このツアーで演奏される主たるプログラムには格別の興味を持っていなかったので,「どっちかだけでいいのになー」と思いながら大枚をはたきました。…そう,コンサートに行く習慣がない私にとっては大金でした。

演目目当てではなかったものの,ちょっとでも曲そのものを好きになっておこうと思い,自主トレ(聴き込む…だけ)に励みはしたものの,頑張っただけの成果は上がらず,お友達には前以てその事を白状しておきました。

お友達に演奏はどうだったかと訊かれましたが,前述のとおり私はクオリティ音痴ですから,なんとも言えませんでした。でもそれが当たりだったようです。このコンサートに出向いた一部の人々が自分のブログで色々書いているのを読みましたが,実際の演者から聴いた事と較べると…軒並み的外れでした。知ったかぶりは恥ずかしい。かなり。

お友達が演奏しなかった日のメインの演目が,今回最も懐柔?が難しかった物です。私は好きになれないのに只管長いこの曲を前にかなり警戒していましたが,意外や惹き込まれました。これが演奏の力なんでしょうか。わかったような事は一切言えませんけど。

こっちは大枚をはたいたと申し上げたとおり,高級なコンサートでした。お友達はどの都市でも基本的にコンサートホールの徒歩圏にあるいいホテルに寝泊まりし,歩いて移動できない場合(私の知る限り1カ所のみ)は楽団員にチャーターバスが手配されました。手厚い。そしてその手厚さを実現させたのは我々大枚をはたいた聴衆である。うーん…。





これはラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンのやつ。
手広くやり過ぎだと思いませんか?本国でもここまでやるんでしょうか。
日本人の西洋コンプレックスとブランド志向を,興行する側はもうわかってるんでしょうね。
日本国内のいたるところで年中催されているオクトーバーフェストと同じ。
「オクトーバー」って言ってるじゃないの。バカにされているとしか思えません。

Donnerstag, 19. Juli 2012

東京ゲートブリッジ Tokyo Gate Bridge

7月になりましたな。
「今年も半分が終わってしまいますねぇ」と,先週は散々聞きましたが,年度で働く私がそう思うのは寧ろ9月下旬かな…。
充実の労働生活を送れていた頃は年度下半期はメチャクチャ忙しかったので,10月過ぎるとなんとなく焦り始め,そのなんとなく焦った気分は春まで続いていました。今は弛緩しきってます。

さて,相変わらずここの事を忘れたまま生きておりますが,先月下旬,やっと何事か書く気になったものの,グダグダのうちに月が替わり,6月の更新実績がゼロになってしまいました。
しかもその書く気になった事も5月と6月の事なのに…うーんダメですね。



…と書き始めたのは今月に入った直後。一度意識から外れると,こうも簡単に忘れてしまう…いけませんね。
気を取り直して。ふた月半前の前回記事で申し上げた,「ちょっとだけ外に出る」の件について,今更ながら申し上げます。
5月4日,私は東京ゲートブリッジを観に行って来ました。橋そのものもそうですが,石井幹子さんによるライトアップも観たかったんです。

お友達が車を出してくれたので助かりました。公共交通機関でもたどり着けますが,方法を学習しただけでゲンナリしてしまうくらい私には面倒なものでした。
調査と大雨で日中は終わってしまい,撮影する気構えが出来たのが暗くなってから。そんなワケで,ここには夜の記録しかありません。
いろいろ余計な物が写り込んでしまいましたが,うーん橋そのものはカッコいい!



お,船が通ってる(実は飛行機も通ってる)。


 

 中央部はこんな感じですが,私は全景の方が美しいと思いました。



その真下を通りました。



私はこの界隈の無味乾燥な感じが好きなんですよね。だいぶ楽しめました。
車あっての事…お友達に感謝。