ここはスウェーデンか
帰って来ました。
…消耗し過ぎて,感慨がありません。
もっと長く居たかったとも,帰って来られて嬉しいとも,今シーズンは思えません。
参ってるなぁ。
時速150Kmのジェット気流の中を,今日は飛行しました。離陸後割とすぐこの中に入ったせいか,最初の食事は出発時刻の約4時間後。本当の「お夕食」でした。食べ終わる頃にはヨーロッパ大陸を離れていました。
この飛行の際の日本人客室乗務員のアナウンスがちょっとおかしくて,女史オリジナルの解釈に基づく妙な丁寧語や語彙が満載。通じてはいるし,多くの日本人乗客にとっては日本語で何か言ってもらえるだけ有り難い筈で,その点で盲目になっているんだろうと思います。でも私は気になって仕方なかった。ジェット気流の事は「ジェットストリーム」と言いました。これ,*日空ならタブーな言葉じゃないでしょうか。言ってみれば敵性言語ですから。共同運行便なのに,ちょっと気遣いが足りませんね。所詮名前を貸してるだけなんですよね。
帰りの便の我が席,周囲を全てドイツ人ではないヨーロッパ人に固められました。
揃いのポロシャツには何らかのプロジェクト名が入っていて(遊びの要素のあるフォントで解読は困難だった),15人くらいの団体だったでしょうか。金属的,音楽的な聴き憶えのある響きから,私はスウェーデン人ではないかと想像。訊きはしませんでしたが,そこそこ自信がありました。
しかし,税関で係員とこの団体のうちのひとりが喋っていたのが聞こえ,その人がフィンランド人である事が判明。あれー?
ま,フィンランド人のうちの6%は母語をスウェーデン語としているワケだから彼等が喋っていたのがスウェーデン語ではないと言い切れるものでもないけれど,よりによってスウェーデン語話者だけがこうも固まるか?
でもフィンランド語じゃないと…思ったんだけどなぁ…。
そもそも同国人だけの団体かどうかだって判りはしませんでしたが。
ヴィーン最終日,食事中,私はオバサンから英語で話しかけられました。
こっちはどうしても独語しかスムーズに出て来ないので初めはつっかえがちでしたが,意外や意外,その後独語と同じくらいのスピードで聴け,返せました。
女史はテキサス人,一切独語不可だと言っていました。私の腹の中でのリアクションは「ふん,だから英語の国の者は」でした。傲慢だ,少しくらい独語を喋ろうと思えよ,って。
しかしオバサンはそんな私の感情に気付く事なく色々話しかけて来,私も無視こそしなかったもののノリノリでもない返答をしていましたが,そこで「あれ?なんで?つっかえない」と。驚きました。オバサンと話せた事はまあまあの収穫になりました。英語は好きじゃありませんが,避けて通るワケにも行かないのが癪。今期の私は今までに較べて早口だったと思いますが,英語にもそれが適用されて我ながらビックリしました。耳が良くなってきたのかな?
この点に於いては,ここで日本に戻ってしまうのは非常に惜しい事でした。
でもそれ以外では別に…。あー,ホント,来年こそは!
Keine Kommentare:
Kommentar veröffentlichen