Samstag, 31. Januar 2015

国立図書館大広間 Prunksaal

ヴィーンが大好きでいながらバロックを大の苦手とする私。
バロック図書館として世界一の美しさを誇るらしい(ホントか?)プルンクザール(国立図書館の大広間)には滅多に入りません。
しかし,自分のヴィーン滞在中ここで天使に関する特別展が開かれていると往路の機内で知り,行く気になりました。


展示の規模の割にはお客さんが多くいました。この時外は横殴りの大雪だったので,本気で観に来たお客より避難民の方が多いんじゃないか?と勝手に想像しておりました。




このように大きなパネルが枠に吊られ,その下のガラスケースの中で古書の関連頁が展示されています。パネルは多くはありませんでしたがミッチリ書き込まれていました。

目的は企画展でしたが,やっぱりここには圧倒されました。展示スペースが混み気味だった事もあり,本来の目的を半ば忘れて大広間を激写。どこにも余白がない。これぞバロック。好き嫌いは別として,壮観であります。










こう云うのも「お腹いっぱい」って言うんでしょうね。




広間の外。壁こそ白いけれど,やっぱり何かしたがるのがバロックか…。
※手すりに寄っかかってるオッサン,いなくならないかなーと暫く待っていたんですが,私に挑戦するかのように(いや,違うだろうけど)しぶとくポージング。不本意ながらおさめてしまいました。
そしてどう云うワケなのかマーラーさん。なんでプルンクザールにいるんだろ。

Montag, 26. Januar 2015

中央墓地,ソ連軍捕虜・戦没者の区画 Opferbereich der sowjetischen Kriegsgefangene im Wiener Zentralfriedhof

いやー帰国して早速インフルエンザにやられ,抵抗力を失ったところで風邪を患い,そんな中迎えた繁忙期…「自分の家は寒い」なんておめでたい事を書いていた時はただ疲れていただけで元気はあったんですが,坂を転げ落ちました…。帰国して2週間しか経っていないのに,パリはもう大昔の事だったように思えます。ヴィーンは猶更。
大量の写真と格闘する気力体力をやっと取り戻したのでぼちぼち回顧録を認めようと広げ,眺めながら思い出すありさまでした。
それでは冬休み最初の記事を。

自分の人生とは無関係な願掛けの為,中央墓地に行って来ました。用はすぐ済んだけれど特に急いで町に帰る必要もなかったので,いつも諦めていたソ連兵の区画を観る事にしました。
観光客が目標とする楽聖やら文豪やらの有名人墓地は門をくぐってすぐのところにありますが,大体欧州の墓地と云う物は自転車が欲しくなるくらい広く,他国軍の戦没者のように一定数存在する外国人の集団は一等地には配置されにくいものです。この中央墓地の場合珍しいくらい好条件(と云うのもなんですが…)な場所が確保されていて,表門からそんなに奥まっていません。それでも今まで諦めていたのは,墓地自体が巨大な為,奥まっていなくても遠い事に変わりはないからに他なりません。


 

モニュメント好きだからなんでしょうけど,こうした像とか塔とか,要するに墓所本体以外の構築物が複数あって,どれが中心なんだか測りかねますが,花環が置かれている尖塔がそうなんじゃないかな,と想像しました。




偶像崇拝…と言ってはいけないんでしょうが,ソはつくづくこう云う演出が好きだなーと,ベルリンのアレを思い出しながら考えます。
ひとりは勇ましく前方を睨み,もうひとりは寂しそうに俯いているのが印象的です。


あからさまにソとわかる演出に事欠かない割に,先頭の下に置かれた花環には独語。しかもこの色遣いはオーストリア国旗から来ていると思われます。どうもこのオーストリア黒十字とは,超党派でやっている戦没者,亡命者,政治難民の墓地保全機関らしく,対象はオーストリア人に限らないそうなので至極まっとう。勉強になりました。




墓には色んな形態があり,冗談左は一般兵,右は戦功を挙げた一般兵…なんだろうか?没年月は殆ど1945年の4月です。ヴィーン攻勢のソ連側の犠牲者が葬られてるんですね。右の墓石には生年も刻まれていますが,その若さが痛い。下段左はちょっと立派な集合墓(?),右は単独の墓石。縦型の大きな墓は5基ありましたが,その中でもこれが最大だったと記憶しています。
集合墓(?)のてっぺんにはお決まりの「自由と独立,我等が祖国の為の戦いに散華した英雄たちに永遠の栄光あれ」…くらいのお言葉,列挙されているのは軍曹と赤軍兵の名。右の墓はレフ・オレホフスキーなる中尉の物らしいですが,それ以上の事は判りません。


この日に限らず,私がヴィーンにいた間は珍しく寒く,最高気温がマイナス3℃でした。いつもは寒いと喜ぶところですが,さすがに墓地はキツかった。風を避けられないし,熱を発する存在がほぼゼロと云う状態ではマイナス3℃以上にも思われました。急いで町に帰る必要もなかったとは申し上げましたが,この区画を観た後はさすがにキツくなり,他の区画はまたの機会に…。

Mittwoch, 7. Januar 2015

帰国

帰って来ました。
いやー寒い。自分の家は寒い!昨日までいた宿は客の意思にかかわらず特に部屋を暖めていたので落差が凄まじいです。

眼が醒めたら直ちにガバっと起きられる生活から一転,明日どうだろう…。


夏でも冬でもシベリアの自然を見下ろすが大好き。今日(昨日?毎度悩みます。どっちなんだろう…)は運良く殆ど雲が出ていなかったので堪能。この過酷感がタマラン。

Dienstag, 6. Januar 2015

出パリ

本日日本に帰ります。
…帰るのは夕方なんですが,中心部からかなり離れた場所(友人宅の近所)に投宿している為,いつもならほんの1,2時間でも町に出て…とやっているところですが,ここではかないません(泣)。

ここが中心地でない事,パリの道路事情がまるでよくない=いつも渋滞している事,空港での諸々に異様に時間を取られるらしい事,色々見聞きするに及び,いつも出向いている国でのスムーズさは完全に期待出来ないと判断。また自分自身ここをよくわかっていないので,ムチャではない時間に起きたものの,やっぱりやめる事にしました。
あーアホらしい。夕方便の為にホテルを出ずそのまま空港に向かうとは。




初めてのパリでしたが,なかなか面白かったです。さすがに観たく・したくなる事はいくらでもあって,それに関してはだいぶ楽しみにしてここに来たけれど,殆ど出来ませんでした。ひとつくらいコンサートに行きたかったけど,そんな事を探す余裕は持てませんでした。

土地鑑がない,ここでの色々に慣れていない,言葉が基本的に解らない,人間(勿論観光客)が多過ぎる等々理由は多岐にわたりますが,少しずつ克服していければ…と,最終的には思えるようになりました。2日目は「もう来ないだろうな」と思っていたのですから頭の固い内弁慶な私にしては結構な進歩?だと思います。
パリが多くの人達に好かれている理由はなんとなく掴めました。でも多くの人が言う「パリは別格」「パリは特別」はどうだろう。…そんな気持ちになるには,私はドイツで経験を積み過ぎたようです。

とはいえ。うわー,また来ようパリ。やり残した事はやれた事の何倍にもなるので,近いうちにまた来たいです。

Montag, 5. Januar 2015

霧のパリ

明日は帰国日。広げるだけ広げておいた荷物をキッチリ詰める時間が来ました。今まで通信に逃げていましたが,もうダメだな。

と云う事で,今日もみっちり活動したんですがお話ししているワケにはいかないのでこれだけ書いたら着手します。



濃霧の一日でした。今日は気温が低かったので冷たい湿気が露出している頭につきまとい,顔はなんだか濡れているような気がするし,髪は自然乾燥後のようになりました。
エッフェル塔もこんな。


分断物を加えるとマジックショーみたいだな…。

Sonntag, 4. Januar 2015

ベッドメイキング…

友人宅に2日世話になり,看板に偽りありと云うか…予め聞いていたのと状況がかなり異なり,窮屈になって一昨日ホテルに移りました。
で,ホテルに入って久し振りに遭遇したこのベッドメイキング。私がいつも行く国では滅多に出くわさないんですが,初見でもないのでこの方式を用いる国が他にあるのでしょう(訪仏自体は2度目ですが,20世紀の頃とかなり前でこの点全く憶えておりません)。




毛布の顔に当たる部分を布(シーツ?)で囲み,敷く方のシーツと一緒にマットレスへ。これ用の靴べら的小道具でも存在するんでしょうか,かなりキッチリです。
こっちはやりにくくてかないません。寝るからには引っ張って毛布を出さなきゃいけませんが,ちょっとやそっとの引っ張りではダメですから力を入れ。すると敷きシーツも一緒に出て来てデロデロになります。このホテルはベッドを壁にくっつけて配置しているので壁側なんてもっと悲惨。誰が思いついたのか,そして誰得なのか。目的は毛布をヨダレ浸けにしない事,毛布へのカヴァーの掛け外しの手間を省く事…と考えれば客の側の得なんて一切考慮されていないんでしょうか。ホントにこれはどうにかならんか。カンベンして欲しいですよホント。

Samstag, 3. Januar 2015

17℃!?

今日は予報通りちょっとウソのように暖かくなりました。18時前に薬局の前を通ったら…


えええ!?
ちょっとこれは驚きです。ヴィーンの晦日の時期と較べて20℃の差!どうしちゃったんでしょう。着ていたダウンの鬱陶しい事と言ったらもう…。

ダウンと云えば,「フランス女はダウンなんか着ないのよ」的に言い切るファッション書を立ち読みした事があります。スタイリストか,スタイリスト気取り・わかってる気取りのパリ在住日本人かのどちらかが書いた物だったと思いますが,ちょっとそれを読んでから「いいんだろうかアタシのダウン…でも所詮フランス女じゃないのは明らかだし…どうせイタリア女とスペイン女はテッカテカのウエストマークタイプ(どうしても美しいと思えない。なんであんな物が出回っているんだろう)を着て来るんだろうし…でもみっともないかなぁ…」等等ちょっと考えた物ですが,ここまで気温が上がっても冬は冬なんで油断はしたくない。ええぃカッコ悪いんだどうせ日本女だから,アタシの基準はあくまでヴィーンだとダウンで来ましたが,なんのなんの。フランス語を話すダウン女になんてそこら中で出くわします。まぁダウンと云ってもコートじゃなくて腰までのが主流のようではありますが。
あの著者はこれをなんとするのでしょう。それはベルギー女だとかルクセンブルク女だとか言うつもりでしょうか。

Freitag, 2. Januar 2015

Ne monte pas après le signal sonore, tu risques de te faire très mal

ここではお友達にお世話になっており,お友達邸は郊外にあるので,ニュースになるような晦日の狂乱とは無縁に年を越しました。
ちょっと見てみたかったので残念ではありましたが,その翌日,つまり昨日ですが,お友達がどうして私を町の中心部に連れて行ってくれなかったかが判りました。

人の数が尋常じゃないのです。30日の疲れを大いに引きずった私は晦日の日もどうかすれば眼が閉じそうな状態をどうにか切り抜け,そのツケを昨日に先送りしました。そんなんで昼から凱旋門めがけて出かけたワケですが…いやヒドい。私が日頃訪れているどの町でもほぼ見た事ない凄まじさでした。何しろ地下鉄駅から行列していてなかなか出られず,出たら出たでアホな観光客が命がけで凱旋門の写真を撮っていました。なんなんだここは。

そしてそれとも関係あるんですがこれ。


地下鉄のホームドアに貼られていたんですが,これ,ホントにやるんです。容赦なく。
乗るなと云うのはただの脅しではなく,実際ブーと鳴ったら扉の前で列を成す乗客をバッサと切り捨てるんですよ。その列だって降車客の多さで乗り込めない後列の客なんですからメチャクチャです。観光客があふれ返るこの時期だからなんでしょうけど…ちょっと考えろよ…と,よく出来た国(←皮肉でもあるけど)から来た私は思いました。

それから地下鉄では「スリに注意」のアナウンスが流れますが,全てではないと思いますけど私が聞いたところでは仏日独英中の順なんです。よっぽど日本人がやられてるのか,そんな順なのか?と思いお友達に訊いてみたらあんまり関係なさそうでした。

Donnerstag, 1. Januar 2015

Bonne année!

昨日の午後,人生発のパリに来ました。完全に芸風外で相当に緊張しております。多分ロシア以上の緊張感…。

お友達のところに御厄介になっているのでいつも通りには過ごせず,今日ももう寝なければなりません。
今日のところはこれだけ。


片側に傾く私の姿勢の悪さが如実に現れてしまいました…。