Freitag, 6. Mai 2016

白バラの Die Weiße Rose an der LMU München

おえー,前回記事から7週間。 繁忙とか超絶体調不良とか,言い訳材料もあるけれど,それよりも…冬休みのネタの少なさでここの存在が遠ざかっているのです。 もういくつも書けません。5泊もしたのになぁ…。ま,取り敢えずひとネタ。


第三帝国時代の義なるドイツ人を象徴する存在にショル兄妹がいます。
ふたりだけで活動したワケではないんですが,この兄妹が特に知られていて,ちょっと前に制作された映画は妹の名を冠した物でした。あの映画のフライスラー役はエグかったなぁ。
彼等はドイツ人の眼を醒まさせるべくビラを作って撒きましたが,その一部を大学構内で捌きました。
そこを久し振りに観ようと思い,カツカツのスケジュールの中,出向きました…自分には時間があるのに,行ける日と時間がものすごく限られていました。そんな解釈における“カツカツ”です。
第一目的は建物の一室にある展示でしたが残念ながら殆ど時間を取れず。でもビラを撒いた建物ホールには展示室ほどの時間制限はないようでした。





映画で(って事は実際にもそうなんでしょうが)ビラが撒かれていたのがここです。表と裏。なんとなく曲がった構造をしています。どう見ても学生さんではない,ショル目当ての者が少しばかり出入りします。展示室の閉室間際でなければもっといるのかも知れません。

真っ先に展示室に行き,すぐに閉室時間が来,構内を観て回る事もせず(こう云う特定多数の為の施設では必ず怖気づいて遠慮する私の性分…),このあたりでそれなりの時を過ごして建物を出ました。高所ヴューは記録しそびれました。





建物の前はショル兄妹広場。勿論戦後に命名されたのでしょう。
ここには当時をイメージさせるオブジェ的なものが貼り付けられています。勿論ビラです。

Samstag, 19. März 2016

ドイツ初のネコカフェへ

前回訪問時に偶然見つけたネコカフェに,お友達と一緒に行ってきました。
ここはドイツ初のネコカフェで,2016年1月現在,6匹が“勤務”していました。私が前に通りかかった時は4匹でした。

私は日本のネコカフェも未踏で,ここが人生初のネコカフェになりました。
しかしいくら未踏でも,日本で生活している以上ネコカフェの情報は入ってきます。そのイメージはタイルカーペット敷きの土禁,入店したら先ず手の消毒,キャットウォーク等の作りつけ設備充実,ネコ管理の都合上(じゃなくて単に地代の問題か)狭めの空間…こんな感じでした。
いまやネコカフェはそのルーツがどこであれ日本の観光スポットと化しているし,って事はそれが世界のスタンダードになりつつあるのかな,くらいに思っていましたが…。

全て,覆されました。
まぁドイツで土禁はナイよなとは思いますけど,客は消毒しなくてよくて,床はタイル敷き,ガランとした広い店内にはキャットタワーが数本,雑に床置きしただけの化繊製遊具とオモチャ,ネコの持ち上げ禁止。



全景を記録しそびれました…


うーむ。
ネコがいるカフェはネコカフェ,まぁそうでしょうけど,ネコさえ放(はな)っておけばいいのか。こんなもんか。日本が過剰なのか。
「どうせ味なんてわかんねーんだから」とそれらしく見えはする料理を出して和食店と称する,どこの者ともわからぬ黄色人が経営している在欧和食店に対して「こんなんで和食店を名乗るな」と言いたくなるのと,ちょっと似た気持ちになりました。ほんのちょっとですが。

でもそれは設備的な面での事であり,ネコは大事にされています。彼等は非常にきれいです(ネコが自分でやる毛繕いの結果を言っているのではありません)し,「ギズモは牛乳アレルギーだから,飲ませたら獣医療費**EURを請求するからね」等とよく見えるところに注意書きを出してあります。

ここで人間に供されるのはヴィーガンメニューです。欧州の動物愛護者には時々見られる傾向です。我々は茶をすするにとどめましたが,そこそこ腹の足しになる物は出していそうでした。

ヴィーンにあるネコカフェに感銘を受け自分でも店を出す事にしたと店主は言っています。同行したお友達はそのヴィーンのネコカフェも知っていて,「あっちの方がイイ」と言っていました。そう聞くと検証したくなってしまいますが…ま,どうなる事やら。

Sonntag, 6. März 2016

NS-Dokumentationszentrum München

ミュンヒェンは国家社会主義ドイツ労働者党創成期の重要な拠点です。その後ベルリンに移り,その地で終わるワケですが,ベルリンの党本部跡地には長年,そこで行われた…と云うか決裁されたと云うか,そんな事柄についての青空展示がありましたが,整備されて建物が出来ました。青空展示も解体はされず,改装の後,常設ではない展示に使われている様子。また,党大会が行われたニュルンベルクにも党史を説明する大規模なセンターがあります。
しかし,そうした施設がどう云うワケかミュンヒェンにはありませんでした。

党は官庁街のような一角を作ります。前回のミュンヒェン訪問時も私はそんな“官庁街”を歩きまわりました。その時,見つけたのです。その頃の党本部が建っていた場所が仮囲いで覆われ,その仮囲い自体が将来そこに出来る筈の施設の予告案内になっていました。勿論市の建設局による大きな工事概要もありました。
その時から,次回訪問時には必ず観に来るものと思っておりました。その日がたったの2年度後に来ようとは予想もしませんでしたが…。
 


施設の名はどうにも日訳しにくいので件名はそのままです。出入り口の前はちょっと広く取られており,この区画の案内が出ています。“官庁街”なだけに,機能が数棟に散らばっていました。内容を同じくする案内板が近くにもあり…と云うかそっちは前から存在しているんですが,これよりも大きくて見易いです。
案内板の奥に見える建物は現在ミュンヒェン音大校舎として使われています。ゴリゴリのナチ様式です。



ニュルンベルクとベルリンのに較べれば大きくはありませんが,展示資料は豊富でよくまとまっています。色々記録はしてきたものの展示スペースの様子が判る物は私としたことがひとつとしてなく,こうした細かい資料だけでした。内容的にちょっとエグいのばかりでここには出しにくい…。



お抱えカメラマンによる…ブロンディちゃんでしょうか。
初めてちゃんと見た気がします。気の毒な子です。

Dienstag, 1. März 2016

ミュンヒェン中央駅再開発工事計画 Bauprojekt München Hauptbahnhof

ミュンヒェン中央駅には特設ブースが出ていました。 大掛かりな再開発を行うようです。 ドイツの鉄道駅再開発と言えばシュトゥットガルトで数年前に何やらモメていたようですが,ここは大丈夫なんでしょうか。



このように,内からも外からも何がしかの情報を提供しています。ミュンヒェン中央駅は石造りの立派な駅舎(たとえそれが表面だけのハリボテであっても)を擁さず,駅の周りが何かと散らかっているせいか建物自体が目立たず,外周は陽が出ていてもなんだか暗く,印象に残りにくい感じはします。
散らかっていると申しましたが,これは別にゴミの類の事ではなく,ちょっとした工事の為の養生とかフェンスとか,時期が来れば外される物なんですけど,何かが外れればまた別の何かが付属し,とその状態に終わりがないような気がするのです…本当はそうでもないのかも知れませんが…。
また,周辺のごちゃごちゃ具合が駅舎を半ば隠してしまっており,ハノーファーとかライプツィヒのように前が開けてカッコよさ全開!とはいかないのです(ああやって威容を見せつけるところ,私は好きです)。

ドイツに冠たるバイエルン()の駅がこれでいいのか?と思われても仕方ないような華々しさゼロの施設であり,州政がなんとかしたくなるのも当然だろうと思われます。私は美観のハナシだけしていますが再開発の理由はそんな浅い物だけではなく,当局は機能性の向上も目指しています。






パネルから,以下の事が判りました。
ここに載せたのが全てではないし,文字が読めないものもあったので完全なる自信はありませんが…。

・州とドイツ鉄道がコンペを実施し,市内の建築事務所の案が採択された
 
駅舎
・中央駅舎とふたつあるうちの北側の側翼駅舎(なんて訳せばいいんでしょう,用語がわかりません…泣)を建て替える,早くて2020年に着工,それぞれ見込み工期は5年半と3年
・側翼駅舎は7階建てと20階建ての建物になり,鉄道当局,小売店,飲食店,オフィス,駐輪場が入る
・駅舎内(ホール)に歩行者専用ゾーンを設ける


駅前広場(駅に3つ)
・トラム全10線とバスが駅舎ほぼ横付けの現状では地上からの入構が困難,これを是正
・自動車進入禁止,緑化し,ベンチ的な寛ぎスペースを設ける
・自転車問題の解決を図る

7キロのトンネル
・主要乗換駅(中央と東)を繋ぎ交通の機能向上を図る,これにより市内3つの重点駅で全てのSバーン路線に乗車出来るようになる

夢のような事が列挙されています。絵空事にならなければいいんですが。


…しれっとミュンヒェンネタを始めましたが,やっぱりもうどう頑張ってもヴィーンネタは絞り出せませんでした。これからは美術館の特別展以外の事は何もお話し出来なくなるんじゃなかろうか…。

Donnerstag, 18. Februar 2016

シューベルト最後の住居 Schubert Sterbewohnung

オーストリアの歌曲王シューベルトが臨終を迎えた住居は,現在当局の管理の下一般公開されています。


この建物の前は何度も通ってきたけれど,見学云々について意識した事が今までなく,今期も外観を観ようと出向いたところ,公開時間が出入り口の横にくっついているのを発見。閉館まで残り45分と云う状態ではありましたが,“耐乏生活”を送っていたシューベルトの住まいが豪邸である筈がない(→短時間でも見学可能だろう)と判断し,入ってみる事にしました。




我々が見ることの出来る部屋は3つだけ。右下の記録は住居内の廊下ではありません。管理の為に一部使われている事を考えても,非常に小さな住まいです。耐乏生活と申し上げましたが,それには疑いの眼も向けられているようです。しかし貧乏でなかったにしてはどう見ても歌曲御殿とは言い難い住居…。金をつかんでも使う前に病魔に侵されてしまったんでしょうか。
3年前に見学したライプツィヒのシューマン邸の立派さが思い出されます。





中には往時の記録がいくつか展示されています。下段左は墓所の為のデザイン画ですが,実際の墓石はもっと簡素なものでした。そしてその隣。窓からの景色…ではなく,この結露に眼が留まりました。二重ガラスなのに!ここは欧州なのに!と云うツッコミをしたかったからではありません。この住居にシューベルトがいた時,本当に貧乏だったとして,この窓は結露したんだろうか,しなかったんじゃないかと考え,非常に寂しい気持ちになりました。
展示の中には「5日(ウロ憶え)食べてない」と本人か兄のフェルディナントが人に書き送った物がありました。その状態で暖も取れなかったとしたら地獄だな…。

閉館ギリギリになる事もなく,淡々と見学し淡々と退出。その時点でまだ残り何分もあり,最終入館時間を設定するような大きな施設でもないのに,店番のオッサンは私を送り出すと同時に消灯をし始めました。いいのかあれで?

Dienstag, 9. Februar 2016

ヨーゼフ・フランクの特別展(2) Josef Frank Against Design (2)

展示の後半はスヴェンスクト・テンに於ける活動に割かれています。私にとっては真打ちの登場。奥には自分が最も観たかった物が控えています。隙間から見えるのでそれがとっくに判っているのです。解説パネルの前では気もそぞろ。




生地は当然展示されているんですが,こんな強烈な家具もありました…張り地はわかるけど,キャビネットはちょっとスゴいぞ…。



この生地の滝は壮観です!ただでさえ大胆な大柄が一堂に会するととんでもなくうるさい。もうワケがわかりません。横の壁にはそれぞれを平面的な長方形に切った物が並べられていました。



生地その物は勿論美しく,観られて嬉しかったんですが,それよりも,ここではこう云った展示物にしみじみ感動しました。こうやって一枚一枚仕上げられて行くのだなー…と。



 

いやー,ホントにいい物を観た。充実感と共に展示室を去りました。

Montag, 8. Februar 2016

ヨーゼフ・フランクの特別展(1) Josef Frank Against Design (1)

繁忙期を終え,ひと月の沈黙を破って冬休み報告を。
ヨーゼフ・フランクはオーストリア出身の建築家にしてデザイナー。特別展が催されるのは当たり前と云えば当たり前なんでしょうが,長年通っているものの,ヴィーンでこの人が取り上げられている場面を見た事はありませんでした。

日本に於いてはこの人は私の嫌いな“北欧”括りに組み込まれている感があります。私が嫌いなのはあくまで用語と,及びその用語を使う業界としての“北欧”であり(だから括弧付き),北ヨーロッパの国のプロダクツは大好きです。フランクは日本ではスウェーデンの老舗スヴェンスクト・テンの代表デザイナーとして最も知られているのではないかと思いますが,出身国には建築作品は残っていても,ファブリックデザインに携わっていた様子は展の範囲では見られませんでした。

帰国後今頃になってお話ししているこの展,実際はまだ会期中でして,それに合わせてスヴェンスクト・テンのポップアップストアが出ています(行きたかった…泣)。上述のとおり,オーストリア人にとってフランクは多分建築家。逆に超絶有機的なモティーフの嵐が新鮮なのかも知れません。






展は先ずフランクの家具・建具考から始まり,





模型,写真とともに建築作品を紹介。申し上げたとおり,建築作品はオーストリアに多く見られたようですが,スウェーデンにも残っています。

続いて。