に行き,その後訪れる機会を持てずにいました。
トレプトウ公園。7,000人を超える独ソ戦のソ連軍戦没者の為の墓地にして彼等を慰霊する公園,で間違ってはいないと思います。第二次世界大戦末期,具体的には1945年の4月と5月,国家社会主義撲滅の戦いにおいて,22,000人のソ連軍死者が出たそうです。
1946年,ソ連軍総本部はベルリンにあるソ連軍戦没者墓地の再編成を決めます。ティーアガルテンには1945年には既に完成していた慰霊碑と,2,000人の戦没者が埋葬されていた墓地がありましたが,増強する必要が出て来ました。それがこのトレプトウと,シェーンホルツにある慰霊碑です。1949年5月8日,トレプトウに完成したこの慰霊碑の落成式が行われました。これはソヴィエト連邦外に存在する最大規模の施設であります。特にソ連軍兵士の立像は,破壊された鉤十字の上の剣と腕に抱く子供が国家社会主義打倒を象徴しているとして世界的によく知られています。
…おや,気付いたら公園の概要を訳していた。ここはそう云うところです。
ソお決まりの余白感。このだだっ広い…なんだ?通り?広場?(これが広場ならプラハのヴァーツラフ広場ばりの細長さですが)を抜けると,総統官邸に用いられた建材(大理石)と似た色のモニュメントがぬおっと現れます(パレード用の大通りにも見えますが,そうするとちょっと短いので,ヴァーツラフ広場を想像した次第)。
このあまりの類似は…ちょっと想像してしまいますが,距離的には結構あります。モーレンシュトラーセ駅のようには行きません。うーん。
こう云うのもソは大好きですよね。注目すべきはこのオレンジと黒?のリボン。これは戦勝記念日を祝うアイテム…なのかな?
ハバロフスクで何度となく見ました。リボンそのものも配られているし,プロパガンダアイテム(
絵ハガキ,菓子パッケージ等等)にも登場します。ロシア人の仕業でしょうね。
赤いモニュメントを背に立つと,眼前にはこの光景が広がります。この画では伝わりませんが,ちょっとスゴい規模です。
ね?ここにも登場する例のリボン。それぞれの色が何を意味しているのか,今度お友達に訊いてみよう。
真打ちの登場。概要中に登場する立像はこれです。立像だけを収めた画もあるんですが,人間が写り込んでいる方が大きさを知るにはよかろうと思い,こちらを採用しました。ソのお家芸炸裂!とにかく度肝を抜かれるデカさです。鉤十字に剣,子供。解説どおりですね。
立像の下,ぽっかり開いた中はこうなっています。これまた扇情的な画ですけれど,配色はとても美しい。そしてよく維持管理されています。磨き込まれているように見受けられます。
立像の真下はこうです。年号の他に「栄誉」を表す露語と独語のヴァージョンもあります。そして,この位置からは墓(なんだろうとは思いますが…)がこのように見えます。赤いモニュメントの前からよりこちらからの方がよく見えますね。
墓?を囲むのはこれまた扇情的なモティーフが彫り込まれたこう云う物。全てテーマが違っていたと…思います(このあたりから次の予定に向け急いでいたので,左右対称に同一モティーフが配置されているかは自信がありません)。それぞれにスターリンの有り難きお言葉が加えられています。
そして一回りして最後に記録したのがこの右の画。これだけでも大きさが伝わ…っているといいんですが。この後ろに,更に同じくらいの奥行きを持つヴァーツラフ広場的な一画があるワケですから,本当に相当な規模です。
この手のモニュメントを私は各所で観て来ました。ソ物件のみならず国家社会主義の物も。いずれも今では自転車乗りの休憩所かスケーターの練習場に成り下がっており,彼等がその場所の意味を考えているようには見えません。こう言っている私自身も,当時の生き証人と同じだけの重みを持ってここを観る事は出来ません。立像を背にバカ丸出しの記念写真を撮るお目出度さ(スペイン語圏の者にこう云うのは多い)は勿論ありませんし,観光名所としてではなく,自分が興味を持つ現代史の関連物件だから観に来たのではありますけれど,もっと深いところで観る事が出来る人間でありたいといつも思わされます。
ところでAPEC,出来ましたね,ウラジオストクで。
私は開催を疑ったものでしたが,驚きましたよ。
建設中のビルはちゃんと完成したのか。あの小汚い町並みはどうにか出来たのか。ルースキー島以外には外国要人を寄らせなかったのか。いずれにしろ,ヨカッタなァ。