Donnerstag, 27. September 2012

国家社会主義の頃のベルリン

ドイツの現代史に興味があるならベルリンはマストスポットです。
前回訪問時,私はいくらかDDR色を出した調査活動(なんの事はない,舞台と関連施設を訪ねるだけ)を試みたものの,
まだまだこっちは自分のものになっておらず,やっていながら解っていない状態でした。
DDR物件は勉強不足の私にはまだ早い。私は欲張る事をやめ,今期は既に身体に染み込んでいる(?)国家社会主義関連の施設に特化し,観に行って来ました。
ただ,国家社会主義が私のライフワークになって久しく,多くの物は既に観た事があります。でもこの領域の勉強には終わりがなく,知れば知る程,範囲を拡げれば拡げる程,その場所の意義を深く理解出来るようになります。各画像について喋ったらロシア人墓地の記事より文字が多くなってしまう(あれには力入れ過ぎた…)のでやめときます。2段目のモーレンシュトラーセ駅については,関連ネタがあります。








Sonntag, 23. September 2012

ベルリンの部屋

最初の2日を除いて,私が滞在していたベルリンの部屋です。
先日申し上げたとおり,学校の近くの物件です。他にもこの地区に空き部屋はありましたが,私はここに一目惚れ。はじめの2日間が塞がり,半端な引っ越しをする必要が発生したものの,どう考えてもここがイイと思いました。
そして,住んでみてもひとつも幻滅する事がありませんでした。2年前のヴィーンのアパートも,第一印象はよかったものの,シャワーの排水状況がとにかく悪かったり扉の立て付けには最後まで慣れなかったりと何かしら見つかったものです。他のアパートでは入居と同時に不満点が見つかったので勝負にもなりません。
今のところ,これが私が滞在した中で最高のアパートです。買ってもイイと思えるくらい気に入ってしまいました。



物件は食べる場所と寝る場所に分かれていて,リビング的な区画はありません。50平米ちょっと切るくらいかな。このサンルーム的な出っ張りがとにかく明るくて,暗くなるまでの間はよく窓際で座ってました。このように小さいバルコニーもありました。
私はカーテンを全開にしているのが好きなんですが,部屋から肉眼でお向かいさんの部屋の中が見えてしまうので,先方からもそうだろうと,止むなく夜は閉めておりました。そんなに近くはないんですけどねぇ…。



こう云う短期滞在用アパートの台所家電や食器には「これ大丈夫なのか?」と使うのが躊躇われる物がよくあります。壊れていたり汚れていたり。でも,ここにはちゃんとした物しかなく,さして新しそうにも見えない電気ポットの中にカルキ(欧州の水は硬いのです)がこびりついていないのを見て,「ここは信用していいところだ」と思えました。
新品のスポンジとワイピングクロスが流しに置かれていました。



ベッドの横にテレビがありました。食卓からはちょっと観づらかったけれど,不満に思う程の物ではありません。このテレビがそんじょそこらの高級ホテルも顔負けなチャンネル数を誇り,好きな局があてがわれている数チャンネルこそ記憶したものの,それ以外では毎日が流浪の民。観た事も聞いた事もないチャンネルの多い事!ビックリしました。当然WLAN環境もほぼ完璧。
そしてこの物件の屋上テラスがまたもぅ…!緑化されていて,住人の皆さんはここで日焼け目的で寝転がったり読書したりしていました。端っこには子供用の砂場があり,塔屋には共用のBBQセットが整然と並べられていて,その側に「使ったら元の状態に片付けて」と張り紙。皆さんそれをキッチリ守ってるんですね。

今年2週間いたので,次にベルリンに行くのは数年後,そしてその際は長居はせず,多分ホテル住まいでしょう。
ホテルと違って,アパートをリピート利用した事はありません。でもこのアパートにはまた来たいです。ホント,ここ,大好きです。


裏庭の様子。

Mittwoch, 19. September 2012

ポップなベルリン

あんまり手広くやった実感はないんですが,今年のベルリン滞在中,振り返ってみれば結構色んなところに出向いていました。
寝泊まりする場所をいつもと替えてみるだけで何度も通った町でも結構新鮮に見えて来るものです。地下鉄駅ひとつ分動くだけで,今まで知らなかったベルリンを観る事が出来ます。
私の場合,次の移動を考えてついつい決まった場所に投宿してしまうんですが,学校に通う間は選んだ学校の立地によってベースキャンプを設定する分,ホテル暮らしをするより収穫は多いです。

今年の滞在先は普段の根城からそんなに離れていないのに全然雰囲気が違い,近いにも関わらず使う交通機関は普段とは異なり,守備範囲でなかった区画が通り道になり,トラムで移動するだけで軽くウキウキしていました。勿論途中下車の楽しみも。行った事はあるけどナゼか長居しなかったような場所が通り道になったので,ならばとじっくり観る気になったり。それなりに新発見があったシーズンだったのかな。
ここに載せたキッチュにしてポップなベルリンは,そんな毎日に出くわした風景?です。画像の地区はかなり限定されていますが,これはあくまで編集の結果。
根城と申し上げましたが,ベルリンの部屋,ここにお示しし忘れておりました。近日中に。









Donnerstag, 13. September 2012

U6君とトラム君

私がこっちに来てから初めて,雨が降っています。
帰宅するちょっと前だったので影響は受けていませんが,まーぁ今日は夕方から寒かった。
ちょっと軽装が過ぎました。クツシタ一足でだいぶん耐性に差が出ます。スカートを履いて裸足に雨靴(形状はバレエシューズ)…は結構シンドかったけど,化学繊維のピラピラしたスカートにクツシタはちょっと履けません。




さて,公共交通機関の施設改良他工事による一部不通はよくある事で,ドイツで私は何度も遭遇しています。代替バスなど大抵の場合は対策がシッカリしているので大して困りもせず,普通に受け入れていますが,和む物ではありません。
常になのか新しく始めたのかは知りませんが,当地ではプレイモービルをイラスト的マスコット的に登用しています。U6の工事要員の役を与えられればオーバーオールには「U6」,トラムの場合は番号ナシで単に「トラム」のネームが入れられます。
私,こう云うのに弱いんですよね。ヘンに作り込まれたアニメキャラみたいのだと逆に腹が立ったかも知れませんけど,これはもぅ…カワイイなァ。ここに住んでいて,工事中の線をメインとしている人は「ニコニコしやがって」と忌々しく思っているかも知れませんけどね。



8月10日22時42分の記事に加筆。
滞在中,私は更にこれらの証拠物件を押さえました。




いたるところに現れるプレイモービル君。たまらんなァホントに。…当然の事ながら,誰も記録してませんでした。



ダメ押し。

Dienstag, 11. September 2012

トレプトウ公園 Treptower Park

2007年にベルリンに来た際,私はここを通り過ぎてバウムシューレンヴェーク火葬場に行き,その後訪れる機会を持てずにいました。 トレプトウ公園。7,000人を超える独ソ戦のソ連軍戦没者の為の墓地にして彼等を慰霊する公園,で間違ってはいないと思います。第二次世界大戦末期,具体的には1945年の4月と5月,国家社会主義撲滅の戦いにおいて,22,000人のソ連軍死者が出たそうです。 1946年,ソ連軍総本部はベルリンにあるソ連軍戦没者墓地の再編成を決めます。ティーアガルテンには1945年には既に完成していた慰霊碑と,2,000人の戦没者が埋葬されていた墓地がありましたが,増強する必要が出て来ました。それがこのトレプトウと,シェーンホルツにある慰霊碑です。1949年5月8日,トレプトウに完成したこの慰霊碑の落成式が行われました。これはソヴィエト連邦外に存在する最大規模の施設であります。特にソ連軍兵士の立像は,破壊された鉤十字の上の剣と腕に抱く子供が国家社会主義打倒を象徴しているとして世界的によく知られています。 …おや,気付いたら公園の概要を訳していた。ここはそう云うところです。













ソお決まりの余白感。このだだっ広い…なんだ?通り?広場?(これが広場ならプラハのヴァーツラフ広場ばりの細長さですが)を抜けると,総統官邸に用いられた建材(大理石)と似た色のモニュメントがぬおっと現れます(パレード用の大通りにも見えますが,そうするとちょっと短いので,ヴァーツラフ広場を想像した次第)。
このあまりの類似は…ちょっと想像してしまいますが,距離的には結構あります。モーレンシュトラーセ駅のようには行きません。うーん。


こう云うのもソは大好きですよね。注目すべきはこのオレンジと黒?のリボン。これは戦勝記念日を祝うアイテム…なのかな?ハバロフスクで何度となく見ました。リボンそのものも配られているし,プロパガンダアイテム(絵ハガキ,菓子パッケージ等等)にも登場します。ロシア人の仕業でしょうね。



赤いモニュメントを背に立つと,眼前にはこの光景が広がります。この画では伝わりませんが,ちょっとスゴい規模です。


ね?ここにも登場する例のリボン。それぞれの色が何を意味しているのか,今度お友達に訊いてみよう。




真打ちの登場。概要中に登場する立像はこれです。立像だけを収めた画もあるんですが,人間が写り込んでいる方が大きさを知るにはよかろうと思い,こちらを採用しました。ソのお家芸炸裂!とにかく度肝を抜かれるデカさです。鉤十字に剣,子供。解説どおりですね。


立像の下,ぽっかり開いた中はこうなっています。これまた扇情的な画ですけれど,配色はとても美しい。そしてよく維持管理されています。磨き込まれているように見受けられます。




立像の真下はこうです。年号の他に「栄誉」を表す露語と独語のヴァージョンもあります。そして,この位置からは墓(なんだろうとは思いますが…)がこのように見えます。赤いモニュメントの前からよりこちらからの方がよく見えますね。


墓?を囲むのはこれまた扇情的なモティーフが彫り込まれたこう云う物。全てテーマが違っていたと…思います(このあたりから次の予定に向け急いでいたので,左右対称に同一モティーフが配置されているかは自信がありません)。それぞれにスターリンの有り難きお言葉が加えられています。
そして一回りして最後に記録したのがこの右の画。これだけでも大きさが伝わ…っているといいんですが。この後ろに,更に同じくらいの奥行きを持つヴァーツラフ広場的な一画があるワケですから,本当に相当な規模です。

この手のモニュメントを私は各所で観て来ました。ソ物件のみならず国家社会主義の物も。いずれも今では自転車乗りの休憩所かスケーターの練習場に成り下がっており,彼等がその場所の意味を考えているようには見えません。こう言っている私自身も,当時の生き証人と同じだけの重みを持ってここを観る事は出来ません。立像を背にバカ丸出しの記念写真を撮るお目出度さ(スペイン語圏の者にこう云うのは多い)は勿論ありませんし,観光名所としてではなく,自分が興味を持つ現代史の関連物件だから観に来たのではありますけれど,もっと深いところで観る事が出来る人間でありたいといつも思わされます。


ところでAPEC,出来ましたね,ウラジオストクで。私は開催を疑ったものでしたが,驚きましたよ。
建設中のビルはちゃんと完成したのか。あの小汚い町並みはどうにか出来たのか。ルースキー島以外には外国要人を寄らせなかったのか。いずれにしろ,ヨカッタなァ。