ソフィアの教会 София (3)
ブルガリアの国教は正教。
ロシアへの旅の後,正教を意識するようになった私の,今期は3度目の欧州滞在でした。最初に接した正教がロシア式だったせいか,私にとってもこれが正教のスタンダードみたいになりつつあります。
その立地で考えれば,こっちこそが正教が興った時の姿に近いのかも知れませんが,正教では流れ着いた先でのローカルルールが尊重され,要するに全てが正しいとされているようなので,それぞれの場所に正教のトップはいても,ヴァティカンと法王みたいな観念自体はないようです。この為,スタンダードは人それぞれ。私がロシアではなくギリシァで正教を知ったのなら,「ロシアのってヘン」と思った事でしょう。
ロシアやリトアニアの正教会と違って,ブルガリアのそれは建物内部は建材のそのままの姿を活かしているようです。この2カ国では内壁がビックリするようなパステルカラーに塗られた教会があって度肝を抜かれたものでした(考えてもみてください。ド派手な聖人像,金ピカの祭壇,以外の"無地"の部分がこの色なのです。浄土思想か!因みに日本正教のニコライ堂内もこれに近いです)が,当地では年なりの劣化,変色をそのままにしています。この為,イコンや装飾品はハデですが,雰囲気としては意外に落ち着いています。
スタンダードと申しましたが,私が気付いたブルガリア正教とロシア・リトアニア正教の違いは,ここの女信者が髪を隠す事なくズカズカと教会に上がり込んで行き,それをタブーともされていないらしい事と,お辞儀が甘い事。ロシア式のお祈りの仕方を気に入り,敬意の表明として正教会で実践している私は,当然のようにストール持参で臨んだんですが,拍子抜けしてしまいました。教会内で働くオバサン(正教会には必ずと言っていいほどいるが,聖職ではないだろうし,何してるんだろう?)が頭を覆っていないんですから,この国ではやっぱり,やらなくていいんでしょう。お辞儀もそう。ロシアとリトアニアの正教徒が日本のサラリーマンならここの者は高校生の「ども」って程度です。せっかく憶えた様式美を実践したかったのに…お辞儀しろよ。頭覆えよ。
…ま,教会ですわ。以下御覧ください。
アレクサンダル・ネフスキー大聖堂
これが当地で最も多くポストカードの素材として使われた名所ではないでしょうか。ブルガリアはロシアの援助を得て対トルコ戦争で勝つんですが,その際犠牲になった人々の魂を慰める為に建てられた施設です。
慰められているのはブルガリア兵の霊…は勿論なんですが,実態としてはロシアに対する感謝の意を示せと云う当のロシアからのプレッシャーで建てさせられた…と云う面もあったんじゃないでしょうか。
アルターにはロシア以外からこの戦争に駆り出された人々の出身国も書いてはありますけどねぇ。申し訳程度にしか見えないけれど…。
この地がソフィアと呼ばれるようになった由来がこれらしいです。
外見こそ大学校舎みたいな地味さですが,内部は美しいです(上述のとおり,当地の教会では「美しい」と「豪華絢爛」は結びつきません)。地味な内部とハデなイコンのバランスがよかった。ここは珍しく内部撮影を許可していました。
中に入る事より外を撮る事の方が難しかった教会です。すぐ横を大通りが走り,その際にある歩道で撮るには近過ぎた。そして,私がここを通りかかると,いつも何かしら(結婚式等)やっていた…。
裏側にローマ遺跡が残っているのがウリのようですが,私には全く解らない世界なので,表面にしか興味を持ちませんでした。私が訪ねた時は,神品と思われる方々が合唱していました。私はここで居眠りをするくらい長居しましたが,その間も合唱は途切れる事なくずっと続いていました。
交通量が激しく多い大通りを基準に考えると不思議な高さに位置して見える,半地下のキリスト教会。
ブルガリアにはオスマントルコに支配されていた時代があり,この教会はまさにその時に建てられたそうです。そんなたいへんな時代にも信仰を捨てなかった人は多くいたでしょうけど,それだけでなく教会の建立を諦めなかった当時の皆さんの気概がカッコいい。
歩き方の指南書は内部装飾をたたえていますが,実際に入った私の感想は「どこが…」。
私が入った時,ロシア式の結婚式が行われていました。入り口前にちょっとだけ写っている黒い車のボンネットには赤いリボンでまとめられた白い花束が載っていました。新婦は不思議な衣装を身に着けていた…エキゾチックでした。
聖ペトカ教会でオスマントルコの支配について触れましたが,ブルガリアはトルコと国境を接しています。この為,この国には回教徒もいます。外国人としてのトルコ人は勿論の事ですが,トルコ系ブルガリア人も回教を信じるからでしょう。
「そう云う立地だからモスクもあるのかなー」とお思いになる方や,そう書くガイド本もあるでしょうけど,実際にはストックホルムにもモスクが建ってますからね。数による違いはあるにしろ,隣が回教徒の国だからってのは唯一の理由にはなり得ないんじゃないかと。
戒律により,女はブルカの代わりなのかこの緑色の魔女のマントみたいな物を着なければ入れません(私はこう云うの,ウキウキで着る)。
鮮やかなタイルが使われてはいますが,柄が細かいからか落ち着いた印象を受けました。人は少なかったのですが,それぞれがあの様式での祈りを捧げる,何かを読む,壁にもたれて寛ぐ,横になる等色んな事をしていました。
2 Kommentare:
私にとっては少々エキゾチックに感じますが、やはり祈りの場というのは見ているだけでも心洗われます。正教会のことはよく知らないんですが、カトリック教会でも女性信徒が白いヴェールをかぶるという習慣があります。私が初めて足を踏み入れた頃には、ほとんどの女性がヴェールをかぶっていました。しかし、それから四半世紀経った現在では、かぶっている人のほうが少数。時代とともに変わっていくのかもしれません。ちなみに、独語圏では十年前でも見たことすらないので、むしろ日本のほうが古い習慣が残っている(いた?)のかも。あと、時々映像で見かけるんですが十字の切り方が正教とカトリックで逆なんですよね。その行為自体は東西教会の分裂以前からあったはずですから、どこで違いが生じたんでしょう?ちょっと脱線してしまいましたが、気になるところです。
モスクにも入ったんですね…私には未踏なので非常に興味深いところです。イスラム教でも西暦なんだ。マントもどき、ウキウキで着るなんてコスプレ好きの清さんらしいですね。西欧では槍玉に上がることの多いブルカですが、見かけたことありますか?私は一度だけヴィーン・マイドリンクの駅で。見慣れないせいか一瞬驚きましたが、ふつうのご婦人でした。
聞いた事ありませんか?バルカンの者はダーの時に首を横に振り,ニェトの時は縦に振ると。私がブルガリア人と話した時,無意識に西洋式の首振りをしていたかも知れないけれど,自分の意図するように事が運んだので,「あっちの者はこうなんだ」と彼等が承知した上で私に合わせてくれていたのでしょう。
私の力では外国人との接触に慣れていないブルガリア人とコミュニケートするなんてムリですから,逆に困るって事がなかったんですけどね。
そうです,世界は狭いんだか広いんだかわからないのです。カトリックが正しくて正教が間違っていると云う事はないのです。分裂前から,地域によって切る方向が違っていたのではないでしょうか。ただ,私はヘタに正教の祈りの姿を会得してしまったが為に,誤解を招かない為にも,カトリックとプロテスタントの教会では十字を切れません(正教スタイルでやってしまいそうで)。尤も切った事もなかったし,これからも切る事はないでしょうけど。
モスクはシンガポールに続き2度目でした。かの地ではマントは着せられなかったなぁ。観光客のあまりの多さと基本的な気候を考えるとこうしたルール付けは現実的ではないんでしょうね。肩を出しては行けないとか短パンお断りとか,その程度の制約はあったかも知れません(私自身が"ドレスコード"に引っかかるカッコウをしないので詳しくないんですが)。
私はミュンヒェンで,ブルカの奥様方を何度も見かけました。第1夫人から第4夫人までが黒づくめで連れ立って歩いていました。そう云うグループがいくつもありました。友達に訊いたら,アラブの富豪がヨメ達を連れて避暑に訪れるんだそうで。ナカナカの迫力でしたよ。
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