Donnerstag, 24. Juni 2010

ハバロフスクの正教会 Православный Хабаровск

あるまじき更新時間です。
早起きしたので,出勤時間まで余裕があるのですが,もう一度寝たら起きられなくなると思うので,このままやり過ごします。

私,泣いてます。
非国民と罵られようと,喜べません。グループE,私の望む通りにはなりませんでした。
唯一の得点がトマソンから発せられました。私,8年来のファンです。代表として2年間得点しておらず,この得点によって,国内代表の得点1位タイとなりました。そこだけは嬉しいし本当によかったと思うんですが,…勝って喜びたかった。決勝に出ていれば更に得点するチャンスもあったかも知れませんし…。
とにかく,今一番見たくないものは青い塊です。私の傷口に塩をすり込む存在。



気を取り直して…なんて,取り直す気なんかどこにあるんだ,ってハナシですが,まだ出掛けないので今日はハバロフスクで観た正教会について申し上げます。
私が観たのはこの3施設。いずれもピカピカしていて美しい。どうもこの地の教会,築浅みたいなんですよ。修復されたからきれいなのではなく,そもそも新しいからきれいなのだ。
いくら町自体が新しいとは云え,150年は経っているワケですよ。宗教施設は町の形成期には出来るものだと思うんですが(この考え方は欧州的なのか?),少なくとも白亜の正教会は今世紀に入ってから出来た物。このへんの事情が私にはわかりません。





私にとってはここが最も印象深かったハバロフスクの正教会なんですが,なんたる事か,名前を知りません。
入り口を間違えてスタッフ通用門みたいなところに入ってしまい,どこかから子供の泣き声がしてくるし,様子が
おかしい(当局にしてみれば,様子がおかしいのは私の方だった筈ですが)なぁと思っていたらそこの
お母さんに「ちょっと待ってなさい,そこで座ってなさい」とベンチを指差され,言われたとおり待つと,
なんとその洗礼室(と云うのか?)を見せてくれたんです。観光客が入ってよかったんでしょうか。
互いに言葉に不自由してはいましたが,私が持っていた小辞書から単語を探して,「聖遺物」「洗礼」等,
今後使う事はかなり少ないであろう言葉を教えてくれました(が,残念ながら忘れてしまいました)。
別の時に出向いたら今度はミサか何かをやっていました。

  






スパソ・プレオブラジェンスキー聖堂。築浅の白い建築物は目の醒めるような美しさです。
このすぐ裏には「ソ」ではお馴染みの戦争モニュメントがありますから,そのつもりで建てられた
聖堂なのかも知れませんが,情報が手に入りません。







イナケンチェフスカヤ寺院。どうもここはそもそもは開基の頃に建造され,その後再建されたようです。
この近くで,私はドハデに脚を挫きました。ここに来た時はビッコを引いていました。

  




こうやって記事を更新している間も,テレビでは只管,聞きたくない情報ばかりを流しています。
だけど出勤する都合があるので,テレビを消してしまうとちょっと心配。あー聞きたくない。
トマソンはシュート時,日本側のキーパーを保護しましたが,トマソン自身は日本の選手にぶつかって負傷しています。そう云う気遣い,どうして日本は出来ないんだろうか。

Montag, 21. Juni 2010

余白が活きる。ハバロフスク(2) Хабаровск(2)

先週1度更新しましたが,それまでの間,また日を空けてしまいました…。
夏休みの手配で混乱しておりました。最近は飛行機の予約に色々制約が多くてタイヘンです。わずか数日で全てを決めなければなりません。でも私はお気楽主婦ではないのです。ギリギリまでは流動性を持たせておきたいのに,そう云うワケにもいきません。
その上今度は南アフリカですよ。
私の気持ちはこの時から変わっておりません。グループEからは欧州2カ国が決勝に進む事が私の望み!今はそれで頭が一杯です。


ハバロフスクの町並み,第2弾。
…って最初に記事にしてからもう3週間だよ…。ホント,サボり過ぎてます。来月末には渡欧です…。
ハバロフスクはまだ若い都市で,開発する時も土地が余りに余っていたのでしょう,すばらしくゆとりを持って造られている感があります。日本では考えられない歩道のワイドさ。密集しているのはよほどの中心地だけです。とてもダイナミックです。
軍事パレード用だったのかと思わせる大きな道路,そしてその道路とタイアップしている広場も勿論。当然ながらその広場の名はレーニンです。
この極東の町にも,やはり「ソ」のイズムは及んでいたワケですよ。

町並みと,一応は申しましたが,ダイナミックすぎてフォーカルポイントがなく,実態としては公共建築コレクションになってしまいました。まーぁ,いちいちデカいです。


  

  

  

  

  
 

さて,前述したレーニン広場の一角には,大サービスをする噴水があります。彼等は加減を知らないのでしょうか,噴水はちょっとした風ですぐに煽られるんですが,その際,枠…と云うのか,を大幅に超過。風の進行方向は水浸しになります。
床は一見平らなんですが,水はなかなか収まる事無く,即席で出来た水溜まりは靴の中まで水が浸み込むほどの破壊力を持ちます。勿論,そんなところにいつまでも立っていたら今度は上からのシャワー攻撃も。
日本で事前に聞いた天気予報を信じた私は長靴とバレエシューズを用意していましたが,バレエシューズは到着翌日にソールが壊れてはけなくなり,晴れだろうと曇りだろうと長靴ライフを送らざるを得なくなっておりました。
でも,こう云う時は逆に楽しい!私は自ら風向きに沿って移動し,長靴のメリットをフル活用しました。

 

  


ハバロフスクにはこんな憩いの場所もあるんです。これもアムールの一部なのかは知りませんが,水辺を散策する地域住民でいっぱいでした。
私がハバロフスク入りした翌日まではアムールを流氷が流れていました。この憩いのエリアにもこんな塊が。もしやこれも流氷?

  

Samstag, 19. Juni 2010

ハバロフスクの宿 Intourist

ウラジオストクの宿は特に代わり映えしない普通の西洋式の物でしたが,ハバロフスクで泊まったところは旧国営のインツーリスト。ちょっと心配ではありましたが,折角ロシア入りしたんですから,この手のところも味わってみないと。
この火葬場みたいな佇まいの建物がハバロフスクのインツーリストです。いかにも団体客用なこのホテルには,いかにもな近隣国料理のレストラン,いかにもな必要小道具店(ショボいドラッグストアみたいの),いかにもなナイトクラブが揃い,参考図書(この本,最高に面白いです!国情が激しく変化しているので,内容が古くなってはいますけど,十分に楽しめます)に載っていた謎の植物園も期待通りありましたし,帰国してからネタにして笑ってもらおうと云う私の下心を存分に満足させてくれました。


ま,併設施設はこう云うギャグな要素が満載でしたが,掃除は行き届いていて清潔ですし,客室もちゃんとしていました。
ソ連式ホテルには各階に“鍵嬢”がいて,この人が全てを取り仕切っているようです。夜,預けた鍵を受け取りに行くとテレビに興じていたりしますが,日中は忙しそうにしています。
オケアン号同様私はこの鍵嬢に関してもツイていて,不機嫌そうな顔をされる事も面倒くさそうにされる事もなく,親切でヘタな西側人間よりよほど愛想が良かったです。



  

  

  

室内は本当に,マトモの一言です。警戒していた黄色の水,茶色の水(湯が出て欲しいのに,と云う意味での水)は出ず,空調も熱過ぎず寒過ぎず,壁は薄そうでしたけど騒音もなく,なんの不満も持ちませんでした。
ウラジオストクでも見ましたが,ロシアのホテルではアイロン室がデフォルトで設定されているんでしょうか。客室の並びに,突然アイロン台が置かれた部屋が現れます。
ウラジオストクではサモワールも置かれていましたが,このハバロフスクの宿ではお湯が欲しい場合は鍵嬢と一緒に控え室に行き,ポットに注いでもらってそのポットを部屋に持ち帰ると云うシステムが採られていました。

Samstag, 5. Juni 2010

オケアン号の旅(3)ハバロフスク到着 Океан(3) Вокзал Хабаровска

オケアン号の終着点,ハバロフスク駅です。
ウラジオストク滞在を経て少しは図々しくなったものの,やはり駅を撮るのはコワく,この程度の記録しか残せませんでした。
ウラジオストクもそうでしたが,駅を利用した当日は勝手な行動がしにくかったので,ここでお見せしている画像の殆どは事前/事後の訪問時におさめた物です。
私は駅が好き。特別な用がなくても,いつも何かと出向いています。
ブラットフォームは,公式には3本ありました。それぞれをこの回廊が結んでいて,逆側の出口からは駅の反対側に出られます。車窓で観られそうな侘しい集落と,その先には高層アパート群。極東連邦管区の本部都市であるにもかかわらず,やはり気を抜くところは抜くのがロシア式(極東だけなんだろうか)なのか。



  



  

 

  




これがその,町の中心とは逆側に広がる“駅前”。