Dienstag, 12. September 2006

フェルクリンゲン製鉄所跡地 Weltkulturerbe Völklinger Hütte

ザールラントは鉱業で伸した地域です。列車に乗っていても,「鉄鋼」な施設をいたるところで見ます。
その中の代表格が,このフェルクリンゲン製鉄所でした。
嘗ては隆盛を極めたものの,鉱業の斜陽化で日の目を見なくなり,没落してゆく中で忘れ去られ,うっちゃられていました。
再び光が当たったのは廃墟と化して8年経った後。時代の遺物を残そうと云う活動が起こり,1994年にユネスコの世界文化遺産として登録されました(珍しくガイドブック的なコメントを…)。
現在は博物館と云うか遺跡と云うか(Firefoxでの参照には向きません),そんな位置づけがされており,一般客が見学出来るようになっています。間近で見ると,動き出しそうな迫力があります。鉄の生き物みたいです。


  

 

  

 

  


現在では夜間に電飾をしたり(ホームページで見られます),屋内部分を活用して,色々催しが企画されるそうです。私が行った時は,報道写真と思しき写真が相当数展示されていました。
また,道一本隔てたところに関連の別館?があり,そちらでも企画展を行っています。本施設を堪能し過ぎ,時間切れで断念。アールヌーヴォーをフィーチャーしていたのに残念…。


Montag, 11. September 2006

トリーア Trier

州境をまたいでラインラント・プファルツはトリーアへ。
こちらもルクセンブルクが眼と鼻の先と云うドイツの西端にある小都です。
ここが知られているのはローマ時代の遺跡がいくつか残っているから。でも私の好みには古過ぎます。
ローマ物件抜きにしてもいい町でした。何かのイヴェントが催されていたのか,相当な人手(普通に人が多いだけなのか行事があっての事かくらいの判断力は長年のキャリアで養われているつもりです)。賑わっていました。





  



興味がないなりに,観ては来ましたので,ローマ物件も少々。
上段の2画像はポルタ・ニグラ=黒い塔の表と裏。昔は他に3つ建っていたようですが,現存するのはこれだけ。
下段は中が青空劇場(?),左と右は浴場だそうです。

 
  


Donnerstag, 7. September 2006

メットラッハ Mettlach

ザールラント及びザールブリュケンの「ザール」は,この辺を流れる川の名前に由来しています。
ザール川沿いのこの小さい町メットラッハは陶磁器で有名なVilleroy&Bochの本拠地として知られ,いくつかあるアウトレットはドイツ人と思しき客(アウトレットへの群がり方が日本人とは違う気がする。日本人は虚栄心の塊の貧乏性,ブランド名が見える物でないと気が済まない‐だから騙されて偽物を買う‐,ドイツ人はいいと知っていて買うんだけど,別にネームが入っていなくたって物は物,B級だって使える,そんなポジティヴなケチ根性が働いてあの手の店に集結する,そんな感じ)でどこも一杯です。
私が瀬戸物ファンじゃなくてよかった。見たら絶対欲しくなっていたでしょう。割れ物に神経を遣って移動中もビクビクして,あまりの重量に腕が抜けそうになって…そんな旅,いくら移動が少なくてもイヤ。でも好きならやってしまいそうだけど。










  




メットラッハ付近にはこのヴューポイントがあります!
併し残念ながら,これは私が撮った画像ではありません。
ザール川のヘアピンカーブ。事前に知り,これは是非とも観てみたい!と思いました。
併しそこまでの移動と時間的な問題を考えて怖気づき,私はフェリーによる航行を選びました。




  
案内を見て,途中降船出来るかなと誤解した結果です。行ってみると判りますが,そんな状況ではありません。結局この画像に写っている船の中にいたってワケです。
当然,面白い物ではありませんでした。
右端の画像がそのヘアピンカーブ,真ん中のは上から見るための物見台です。
ここからでないと,上方のような画は望めません。勿論ただのクルーズも悪くはなかったんですが,希望は叶わなかったワケで,空しい船旅…。


Dienstag, 5. September 2006

ザールブリュッケン Saarbrücken

マイナーです。
…相当マイナーです,ザールブリュッケン。
フランスからドイツ入りする人,私のような行くべきところにはもう行ってしまった者でないと目が向かない場所でしょう。フランス国境地帯のごく小さい州,ザールラントの州都です。
州の規模に比例するのか,小さい町でした。





   




ザールブリュッケン見所の真打ち,ルートヴィヒ教会(ホームページは甚だ不安定です)。
外見はいかにも普通なんですけど,中はこのように実に静謐にして清楚。なんて美しいんでしょう。
ベネディクト16世の今月の訪独を知ったのはここでした。








  


ザールブリュッケンではナゼか,アンペルメンヒェンが見つかるんです。
アンペルメンヒェンとは,歩行者用信号機のマークに使われている人型君なんですけど,これは旧東独で存在していた物。西も西,こんな端っこの地域で見かけるのはフシギな感覚でした。

  
ちょっと見づらくて申し訳ないんですが,左と中が東の人型君,右が西のです。
西のに可愛気がないのがよく判るでしょう?
ちなみに調子に乗った人たちがベルリンにショップを作りました。私はそのショップで製氷皿を買いましたが,これが結構イイんですよ。
アンペルマンに対して可愛いから+ヒェン…だと思うのですが,ショップ名は思いっ切りアンペルマンなんですよね。どうなんだか…。



フランス国境なだけに,バイエルン人が"Grüß Gott"と言うような地域挨拶がここでは"Salü"なんだそうです。ちょっとカワイイと思いませんか?
この画像のように,独語とフランス語しか標記されない案内板も多々ありました。
英語至上主義者に聞かせてやりたい思いです。:-)

Samstag, 2. September 2006

A343-400, 16D


昨日,ドイツ2都及びオスロから帰って来ました。
何の幸運だか,ビジネスクラスに乗って。大方ダブルブッキングだろうけど,人生3度目の(本人の都合に起因しない)アップグレードですわ。
2回ともエールフランスだったから(しかもエールフランスの利用は人生で2回のみ,しかも2回目はファーストクラス),キッチリ型のルフトハンザがどうしたんだろう,と思ったけど。



ミュンヒェン空港にて。
ドイツの新聞が乗った棚を物色し,「ミュンヒェンなだけに南のばっかりだなー,シュトゥットガルト物なんてあるワケないか」と思っていたところ,背後から呼ぶ声。
私か?と振り返ると,地上職女史に「ナリタに行くの?」と訊かれる。「はい」 「英語喋る?」 「はい」 「ちょっと搭乗券を見せて」清,見せる。 「…ちょっと来て」とカウンターに連行される。カウンターにはズラリと並べられた搭乗券。「まだ搭乗時間じゃないでしょ?」 「それはそうだけどね」 あくまで無表情な女史。ビビる清。
女史,私の席次とコンピュータ画面を見較べて何かを考えている。その後ろには事情を知っていそうな兄さんが1人。
女史,決定。「今日,ビジネスクラスに乗りなさい」清,驚いて「なんで!?」と思わず訊いてしまう。女史は答えず,ただ兄さんが「今日はツイてるね!」と言うのみ。
女史,再度「英語を喋るか」「1人か」と私に訊き,私が肯定すると,「(ビジネスで)いいわね」と念を押す。「は,はい」と私が返すと,それまで事務顔だった女史が兄さんと一緒に祝福の表情を浮かべる。清,2人に挨拶をした後ウキウキ。
意気揚々と搭乗。幸運にも隣席は空いていたし,成田まで快適そのものでした。
ただ,最後だったから英語じゃなくて独語を喋りたかったんだけどね…。
最初に英語で声を掛けられるとそのまま通してしまうもので。

それにしても蒸すねぇ,関東。これでもカラッとしてきたようだけど,私にはツラい。
明日30度でしょう?殺す気かーーー!

またいつものように,時間をください。報告書を用意します。