Dienstag, 10. Dezember 2013

ヴェステルプラッテ Westerplatte

第二次世界大戦の始まりの地として知られているヴェステルプラッテはグダニスクの一部です。戦争を話題にする時は独語名のダンツィヒで呼ぶ方が気分であり,私自身文字入力をする際,「ダ…」と打ち始めてしまうのをなんとか軌道修正してこの記事を書きました。私実は,グダニスクを訪れる以上何をおいてもここに来たかったんです。ホテルのスタッフさんは所要滞在時間を「1時間も見とけば十分だよ」と言っていたけれど,なんのなんの。ここで時間を取り過ぎて,近郊の町への遠足をひとつ諦めました。

グダニスクは何度か自由都市化され,ドイツのようなポーランドのような(←現代の感覚でいうところの,です。各時代の帰属先はおいといて),どっちつかずの状態が続いていたようです。
私はグダニスクに行った事をドイツのお友達ふたりに話しましたが,ふたりとも「ダンツィヒはドイツだった」と言っていました。しかし「ドイツだった」時間は(私の浅い勉強の範囲では)そんなに長くはなかったようですね。


それでもやはり,ここはドイツ抜きにしては語れない町ではあるなと思います。戦史におけるドイツの比重を考えれば当然か。
ここに来ていたポーランド軍の部隊をドイツ軍が襲撃して第二次大戦が始まったそうです。
現在ヴェステルプラッテは遊歩道のように整備されていますが,そこかしこに案内の看板が立てられ,そこに何が存在したかを教えてくれています。一部“遺跡”が残っています。



道案内の背の高い標識みたいなものはありませんが,忘れた頃に…的な間隔で案内が出て来ます。また,3箇所にこのように青空展示があり,これがなかなかいいんです。文字による解説は多くなく,写真がメイン。残念ながら退色が激しくはありますが,この写真がまたピントが合っていると云いますか,どれもこのネタならこれが最適だろうと思わされる物が選ばれているように思われます(被写体のピント…ではありません)。







この“遺跡群”の中でひときわ目立つのがこのバラックだった建物。コンクリートがこんなに生々しい物だとは日頃全く考えない事です。凄みが利いています。ビルケナウの焼却炉を思い出します。




現物を観た後では陳腐な気さえしてしまう碑が,行き止まりの高くなった所に建っています。当時の物の持つ迫力にはかないません。

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