Sonntag, 4. Juli 2010

戦争慰霊碑

この国では戦勝をことさら強調するのだと昨日申し上げましたが,今日お示しするこれらもその一環なのでしょう。
私が訪れた極東2都市にはいずれも,戦争によって命を落とした人々を慰霊するモニュメントがありました。どちらも火を灯し,それが永遠に絶えないようにしてあります。こう云う物,ワルシャワで観た事があります。ただ,ワルシャワの場合は衛兵さんが張っていましたけれど。この二都の様子では誰かが出来心で水をかける事も出来そう。ま,何かするとバレるようになってるのかも知れませんけどね。センサーとか。
この様子だとロシア国内のちょっと大きな都市には必ずあるんじゃなかろうか…と云う想像が出来ます。





 

これはウラジオストクの。刻まれている年号から,ここで慰霊されるべきは第二次世界大戦の犠牲者だけが対象なのだと云う事が判ります。慰霊碑のすぐそばに建つ教会は,殆どその為に建てられているんじゃないかと云う想像が働いたのですが,真意の程は調べ及ばず。
この慰霊碑のまわりには潜水艦や大砲の現物展示がなされています。全てが関連しあっているのだとすればなかなかの規模です。



 



こちらハバロフスク。スパソ・プレオブラジェンスキー聖堂の裏手に拡がるこれは対象年限をもっと大きくとっていたように記憶していますが,自信はまったくありません。聖堂の前もかなりの空間を確保していますが,裏は裏でまた広い。ロシア語には「巨大な空間」を意味する単語があるそうです。ごく普通の「空間」では表現しきれない,とにかく広大な空間をさす言葉。土地が有り余っているんでしょうね。

  

  

 

大聖堂の裏からアムールまでの間に,大規模なモニュメントがもう一つあります。こちらでは2度の世界大戦のみならず,つい最近の暴動鎮圧だか内戦だかまでがカヴァーされています。「アフガニスタン 1978-1989」「タジキスタン 1993」等等。地球儀には,モニュメントに彫りこまれている“舞台”が示されています。
こっちの場合,どうするのか知ら。チェチェンだ南オセチアだと,後から追加するんだろうか…。

Samstag, 3. Juli 2010

ソ連の戦勝記念日(2) 極東2都市にて

都市別特集は昨日で終了。今日からは2都市の共通ネタについていくつか申し上げようと思います。

先に5月9日に向けたロシア国家の熱い取り組みについてちょっとだけ申し上げましたが,5日に日本に戻るまでの短い間に相当数の“キャンペーン物件”を目撃しました。
これらはその,ほんの一部です。国家による押しつけもあるんでしょうけど,自らノっている人民も少なくなさそう。
今年は記念すべきソ連の対ナチ戦勝65周年だそうで,いつも以上のノリだそうですが,…あと5年待って70周年を祝う方がキリがいいんじゃないの?と思ったものです。
「65」「1945-2010」「09 мая」のオンパレードでした。

テレビでもいかにもな特集が多く組まれ,深夜は戦争映画づくし。これだけ色んな事をプロパガンダ的にされていれば,国民もその気になってしまうでしょう。日本ではここまで盛り上がりにくいだろうなあ。4年に一度6月に青装束で熱狂的になるのも,まあ似たようなもんなのかな。一切踊らされない私は,国内にいながら完全アウエーですけど。




  

  

  




プロパガンダ活動の極み,軍事パレードはこの国ではいまだ現役の重要行事です。これはハバロフスクでの練習風景。5月5日,帰国の日でしたからギリギリ。バスの中からちらっと見ただけですが,なかなかの迫力でした。実際の場面を見たらどうだろう。高揚感を味わうのかドン退きするのか…。

 


さて,そろそろ本腰を入れてARG-GERなど…。

Freitag, 2. Juli 2010

ハバロフスクの交通

この記事,Vista機で更新していますが,見た目は悪いし普段まるで使わないHtmlを押しつけられるしで面食らいます。ホントVistaってヤダ。

気を取り直して。ハバロフスクは地域一番の都市です。公共交通は充実しているように見えました。
私は滞在中ひたすら歩いただけで,こうした乗り物は一切利用しなかったんですが,乗りこなせると相当便利だろうと思われます。せめてトラムだけでも試せばよかった。ちょっと残念。




  

  
  
バス,トロリーバス
別の機会に申し上げるつもりですが,極東ロシアは中古車の独壇場です。公共交通ならちゃんと
それなりの色に改めてから供用するのか…なんて考えは,この地では捨てなきゃいけないかも知れません。
だからこれらの色柄に意味があるのかわかりません。あえてやっているラッピングバスなのか,当初
使われていたままの状態なのか。
ただ,下段左のタイプは輸入後にいじっているものと思われます。色違い(青と緑)をみかけましたから。
テープを貼ってるだけなんですけどね,実態は…。
トロリーバスを見ると,「ああ東!」って思います。ブダペストでも世話になったっけ。



  

  
  
トラム
バス同様,オンボロです。それなりに路線が多そうで,よく利用されているみたいです。



 

停留所はこんな感じ。カワイイ。



 
オマケ。ウラジオストクのバス。
ハバロフスクのバスより快適そうには見えますが,この触角みたいのは意味ワカラン。

Donnerstag, 1. Juli 2010

アムール川 Амур

今月末には渡欧だと,6月21日に申し上げましたが,実は日程変更を余儀なくされ,出発日は来月初日に改められました。まぁ動いて2,3日ですが。
この件では悶々とした週末を過ごし,何も手につかず,ここの更新も滞りました。
どうにか全ての片がついたので,これからホントに急ピッチで極東報告を行います。



露中国境を流れるアムール川。ハバロフスクはアムール沿いの町です。これだけの大河なのに「川」と表記されるんですね(ところで川と河の定義ってなんなんですかね。私は漠然と,大きいカワは河だと思ってました…)。





私がハバロフスクに入ったのは5月3日。まだ流氷が見られました。
次の日には殆どなくなっていたので,ギリギリでした。

  

町の外に出たらわかりませんが,市内ではこのように水際まで歩いて行けるようにしてあります。
この記事で滞露中長靴生活を余儀なくされたと申し上げましたが,ここでも長靴は大活躍!勿論入ってみました。
ゴム靴を通しても水の冷たさがわかるほどでした。



  

川沿いはきれいに整備されていました。遊歩道,物見の塔,スタジアム,移動遊園地等が集中している他,
私の好きな青い教会から伸びる道がそのままアムールまで下りていたりもします。
グダグダのウラジオストクから来たばかりの私には,その整備され具合が異様に思われました。どっちが
ロシアンスタンダードなんでしょう。ハバロフスクだといいけれど。



「夜歩きはするな」と色んなところで言われていたけれど,これは観たかった。実際の夕陽はもっと朱くて迫力物でした。
これで現地21時30分くらい。



上段,真ん中の小さい写真の,これは反対側です。川側から見たところ。ステキではありますが
白々しいほど新しいので,もうちょっとこなれたら,もっとよく見えるかな。