Donnerstag, 31. Januar 2008

Jag förstår blott svenska...

フィンランドの公用語はフィンランド語とスウェーデン語です。
隣国だから言語的に近いのかと思いきやさにあらず。フィンランド語はその左に連なるスカンディナヴィア各国の言語とはルーツを異にする完全なる別物です。また,右隣の国語であるロシア語ともまるで違います。フィンランド語はエストニア語,ハンガリー語,トルコ語の兄弟らしい(民族のもともとの出所が共通とされている)のですが,私にそれらに対する知識がないので,専門家の言葉を信ずる他ありません。


ここで登場するのが1日に申し上げたハンガリー女子の言葉。私が就職しにくいフィンランド文学をどうして選んだのか問うた際,勿論フィンランドが好きだからと云う当然な理由はありましたが,「ハンガリー語とフィンランド語は近いんだよ。だから勉強し易いの」とも言ったんですね。私は今でもハッキリ憶えています。自分が「どっちにしろ,私がやりたくなる言葉ではないな」と思った事も,結局テレビ番組もスウェーデン語放送しか観なかった事も。
歴史的経緯で考えれば,この4ヵ国語で言えばたぶん私にはハンガリー語が理解し易いと思うんですよね。外来語に救われると云う消極的な理由ではありますが。

で,私ですが…。
フィンランド語にはやはり興味を持てません。北方ゲルマン系の言葉に手を出し,これからやってみたいのがスラヴ系のポーランド語と云う私にとっては完全に畑違いです。喋るのは英語,書かれた物を読むにはスウェーデン語と云う気持ちでいたので,日本からスウェーデン語の会話本(ベルリンで買ったやつ)を持参しはしたものの,全ての場所でスウェーデン語が使われているとも思えず。
そこで,ヘルシンキに行く前に「標識も読めないんじゃ心配だ」と思ってヴィーンで小辞書を購入(ヘルシンキで独語ガイドを買っても不毛です。解説が読めないんですから…)。会話をフィンランド語でしようなんて図々しい考えは持っていなかったので,会話集ではなく,ホントにただの小辞書です。空港バスの中では目に付く単語を片っ端から調べました。活用とか変形とか,まるでわからないものですから,「多分これでいいんだろう」と云う程度でした。勿論その後は,強風の中手袋をはいた状態で単語調べなんて出来ませんから,休憩中とか部屋で見るだけになりましたが。
でもそうやって,なんとなくでも少しだけでも書き言葉(“言葉”なんておこがましい。単語だよ単語)を理解出来ると,ちょっと嬉しくなりますね。10年前の(「これは要らない」と云う)頑なさはなくなりました。依然として習いたくはなりませんが…。

そんなワケで,ヘルシンキにおける2言語対応(?)を,この次の記事で御紹介します。



習わなくてもこれなら想像がつきます。実際思ったとおりの意味でした。“ale”はセール。ここではフィンランド語しか出していませんでしたが,大抵の店舗ではどちらも表記していました。スウェーデン語だと“rea”です(これも初めてスウェーデンを訪れた時に憶えたんです。ああ恥ずかしき我が物欲…)。フィンランドではセールコーナーを赤くするのが主流みたいでした。



Mittwoch, 30. Januar 2008

ピンポイント建物見学

いやー,こっちの更新を著しく滞らせていた独語学校の課題が終わりました。
パソコンを使える自由時間はほぼ,かかりっきりだったと言ってよいでしょう。それから解放されましたので,帰国後3週間にもなりましたが,引き続き更新を続けます。
とは云え,この冬休み,私はあんまり写真を撮っていませんでした。去年は合計3ギガのメモリースティックが途中で一杯になってしまうほど(パソコンを持ち込んでいてよかった…)撮りましたが,期間は同じなのに,ヴィーンはいいとしてもヘルシンキでそれほどガッついて撮っていなかったんです。植物園イケアに行かなかったからかなぁ。そんななけなしの写真の中からいくつか特集を組んでみようと思います。


いつもは建物見物が好きな私ですが,この冬は殆ど,それを行いませんでした。やはり冬はすぐ暗くなるし,なにより強風で外回りに対する意欲が殺がれました。寒いだけなら耐えもするが,風はツラかった。
こんな理由で,私が見た建物はヘルシンキの鉄道駅から徒歩で行ける場所にある物ばかり。
ヘルシンキにはまた近いうちに来る筈なので(セトモノ,布モノが欲しい),建物は次に回す事にしました。それでは,ベタすぎて恐縮ですが,行ってみましょうか。


テンペリアウキオ教会 Temppeliaukion kirkko

ここは名所です。なんでも石をくりぬいて建てられた教会らしく,建築マニアも驚く観光スポット(の前に宗教施設であるワケだけど…)以上の存在である様子。
10年前の滞在中にも訪れたところです。当時はイタリアからの団体旅行客を乗せたバスが横付けされていたものでしたが,この冬はどこを見回してもロシア人。大激写大会が繰り広げられていました。
因みに天井は銅です。*国人に知らたら盗まれるぞ!気をつけろ!!






フィンランディアホール Finlandiatalo

フィンランドのスター建築家,アルヴァル・アアルトの作品。コンサートホールのイメージが強いんですが,会議場としての施設もあるみたいです(コンサートホールと思ってしまうのはこの建物名のせいだな…)。ガイドツアーで回る余裕もなく,暗くなってから立ち寄ったのみ。次回期待。




国会議事堂 Eduskunta(talo)

ガイドツアーで中を見学出来ます。私は前回の訪問で見学済み。実はこの時,執務室にまでお邪魔したんです。得がたい経験。
そんなワケで私が最初に憶えたフィンランド単語はeduskunta。国会議事堂なんですね。アイサツより先に憶えてしまった。




国立現代美術館キアスマ Kiasma

結構面白い建物です。私の知らないアメリカ人による設計。展示物より建物内部に興味があって,最後の日にムリして行きました。
期待なく訪れたものの(“からか”とすべきか),当時の展示(カーネギーアワード)がまた良かった!最後にいい物を観たと思いました。






よくわからない,ステキな建物郡。
勉強不足です。きっとマニアにはブランド的な性質を持つ建物なのでしょう。



Montag, 21. Januar 2008

例の,ベタなやつ

また見に来てくださいなんて言っておきながら,時間をあけてしまいました。
あけた後のネタがこれでは場つなぎみたいで申し訳ないんですが,一応報告を。

私自身は7:3の割合でアンチですけど(マニアの青年はカワイイ。でも製作者側の意図-使い方-がいかにもで気に入らん),日本にはこれが大好きな方が多くいらっしゃるので,一応披露しましょうか。




この写真じゃなんだか判らないかな。近寄ってみると。



これなんですよ。日本語はそのまま。消さないんでしょうかねぇ。



実態は映画同様飲食店です。このように,ポスターからフライヤーまで大事そうに掲げてます。日本人を呼び込む為か,或いは単純に「ここが映画のロケ地になったんだぜ!」って自慢したいのか。
私は映画の影響と思われたくなかったんで入りませんでしたが(だからこう云う消極的なネタしかないワケで…),工夫風の兄さん,オイサン方が続々と入っていました。ああ云う客層なら気軽な大衆食堂みたいな店のかなぁ。
このポスターが剥がされたら,入ってみようと思います。いつ剥がすんだろ。

Donnerstag, 10. Januar 2008

恋人探し

1月7日の朝,私は日本に帰って来ました。
煩わしいダウン(相撲の着ぐるみばりにブクブク),動き難くてフィギュアスケーターがリンクから降りた時と同じ歩き方になってしまう雪靴,普段は殆ど必要としない手袋と帽子を脱いで,足下がスースーして乱暴な動きには耐えないスカートに,ダウンの数分の一の厚さしかないコートと云うイデタチでもヘイキになりました。なんて身軽。

もう帰る日が見えて来た1月の3日か4日頃でしょうか,パソコンを触っただけで帯電するようになり,それからあかぎれが始まりました。
皮膚が薄くて弱いので私,手には特に気を遣っておりました。半乾きで外気に当たる事は避け,手袋で保護し,夜はハンドクリームで防御。
それなのに手の甲はヤスリがかかったようにザラザラ…。小指の下には赤くて小さい十字がたくさん現れ,痛くはなかったものの,見た目は相当哀れでした。
現在はどうにかヤスリだけになって来ました。もう一息です。


さて,今日のこの,極めて異例なタイトル。
ヘルシンキで最後に観たテレビ番組です。8時の飛行機に乗る為,私は5時半に起きました。その時やっていたのがこれ。
日曜の5時半と云えば,日本では皇室番組が放送されている時間帯です。あの時間に流して,誰が観るのでしょうか。まぁ同じ事を望んでいる人達って事か…。

この番組では,“立候補者”の姓名,年齢,居住地(ヘルシンキ,タンペレ等漠然と),希望する相手の年齢,特記事項が本人写真(静止画のみ)の横に表示されます。1静止画面に付き3人。ドイツのように本人出演の“字幕解説つきPV”(これがまた,いじらしくて垢抜けなくて最高にオモロいんだが)は使われません。だからなのでしょうか,若い殿方の中には自分の肉体美を誇示せんばかりに上半身の裸体フォトを載せてる御仁もいました。
希望年齢について気付いた事。自分より年上の女を望む男はビックリするほど少ないけれど,逆は結構多いんです。別に守ってもらおうとしてはいないんでしょうけど,自立女がとても多い国にしては意外だと思いました。また,年齢の幅が結構狭いようです。きわめて現実的な数値に見えました。こう思うのは私が日頃メトロポリスなんか読んでる(正しくはあのコーナーを読んで爆笑している)からなのかも知れませんが。
特記事項,まるで解りませんでした。初めは「まぁムチャな事を言ってるんだろうな」なんて思ったものでしたが,年齢設定を改めて思い出せば,特記事項も現実的だったのかも知れません。
エントリーしている主流は20代と見受けましたが,中には58歳の婦女子もいました。ガンバレ58歳!

帰っては来ましたが,今後もうちょっとヘルシンキネタをお話しさせていただく予定です。また見に来てください。




恋人探しの番組は,私に余裕がなくて撮っておけませんでした。
これは最終日に撮った物ではありません。ヨーロッパの大画面天気予報が好き。

Samstag, 5. Januar 2008

美術博物館に入ったら

私はヘルシンキ滞在中,7つの美術博物館を見学しました。




うち金曜日は入館無料になる2館,自社アイテムを並べた陶器会社の博物館を除いた大規模な4施設では,必ずステッカーが用意されました。見学の際は,これを必ず手の甲や衣服に貼っていなければなりません。
これ自体は別段珍しい事ではありません。大陸でも時々見かけます。併し,「貼りなさいよ」と言われた物をここまでキチンとマジメに貼っている見学者を,私は見た事がありませんでした。
みんながみんな,貼っているのです。私は着ている物に良くない気がして今までは割と守らないでおりましたが,ここでは郷に入ってはなんとやらで,キッチリ貼って見学しました。

アラ,半分近く省いてしまいましたが,この様子だと入館料を取る曜日の2館でも,多分ステッカーは貼らされるのでしょう。

フィンランドの人は遵法人間なんでしょうか。
…いや,遵法ってオオゲサですけど,なんと言いますか,こう云う小さい事を大事に守る人が多いのかな?なんて思いました。
ヨーロッパにおける私の行動はジャーマンスタンダード。例えば,ドイツ人は横断歩道では赤でも車が来なければ,或いは来るまでに自分が道を渡ってしまえればヘイキで赤信号を無視します。私は通い始めて間もない頃は日本的な感覚で信号が赤ければ立ち止まっていたものでしたが,ドイツではその行為が逆に愚かしく思われているようなフシがあります。
過去,スウェーデン紳士がこのような状況に陥ったら「子供が見ていたら悪い影響を与えてしまうから待ってる。でも近くに子供がいなければ渡ってしまう」と言っていたのを思い出しました。ここの人が同じ事を考えているとは思えませんが,やっぱりマジメなのかな。
まぁでも,若い人やピンで歩いている殿方は渡ってしまう場合もありますから,「待つ人が大陸より多い」とする方が適当でしょうか。

これがヘルシンキからお送りする最後の報告です。
明日,ここを去ります。「ヘルシンキ」が災いしてか,同日乗り継ぎで帰ろうとなると早朝便を選ばざるを得ません。明日,8時発…。こんなに早いの,乗った事ないよーーー。起きられるか心配。それなのにまだ,荷造りが終わってない…。


ちなみに用済みステッカーはどうするのか。



私はバッグの裏に貼り付けていましたから全て手許に残りましたが,出入り口にこんな物を用意する美術館もありました。気が利いてる。ちょっとカワイイ。

Freitag, 4. Januar 2008

フィンランド人の為の小さい理想郷(?)

今日は日中,異様によく晴れました。朝,明るくなるのが今日はいつもより早いように感じられました。ヘルシンキに来てから,いやヨーロッパに来てから初めてではないでしょうか,こんなに晴れたのは。
夏では当たり前の事が,冬だと貴重に思える。こんな画なんて,前回(夏)はいくらでも観ていたんですが,この空色。わざわざトラムを降りて撮影してしまった。白い建物は青い空に映える(当地到着日にもこれを載せてます)。「後で来よう」は無効です。天気なんてすぐ変わるし,何よりすぐに陽が暮れてしまうんですから。




しかしこの佳き日,私は勿体無い事にこれ以外の撮影をせず,美術館と店巡りをしてしまっておりました…。


ところで,こんな物があります。



名がついているかは知りませんが,煌々と照らされた温室。繁華街なのに周り数メートルはガランとしていて,私がここを通るのはいつも暗くなってからなんで,闇の中で脈絡なく光る温室と云ったイメージです。私はよくここを通るんですが,いつも道行く人が立ち止まって眺めています(下の写真は盗撮ではない。私が構えていたら入られたんじゃー)。

   

中ではこの時期のフィンランドではとても考えられないような植物が元気に育っています。人工光,調湿(多分)が行き届いているのでしょう。こっちの人には天国みたいに思われるのでしょうか,鳥の声やヒーリング物っぽいBGMまで用意されていて平和そのもの。彼等の夢なんでしょぅかねぇ。

サウナに通っているので,夜は只管水分補給。身体には悪かろうと思うんですが,冷たい水が最高。酒飲みでもないのに製氷コーナーのお世話になっています。

Donnerstag, 3. Januar 2008

サーリネンの建築 国立博物館 Suomen kansallismuseo

フィンランドの建築家と云えばやはりスタンダードはアルヴァル・アアルト※でしょう。私はアアルトのファンで,前回はフィンランド各地を回って,アアルト行脚を行いました。残念ながら行ったと云う事実以外の詳しい内容は憶えておりませんが,当時は大いなる充実感を得たものでした。
併し自分を戒める為にも言いますが,アアルトだけがフィンランド建築ではありません。中央駅でお馴染みのエリエル・サーリネンもまたこの国の代表建築家と言っていいようです(その割には米国移住なんてしてるけど)。

今日はそのサーリネンの駅以外の作品,フィンランド国立博物館に行きました。第一目的はガレン=カレラの天井画で,着いてから「あ,サーリネンだ!」と思い出す体たらくではありましたが,やはり感動的でした。この意匠!私の大好きな様式です。ケバケバしい,いえ,素晴らしく豪華な彫りが施された外見より,私は内部に惚れました。


※日本では圧倒的に「アルヴァ・アアルト」ですが,私はフィンランドで接した人全てがアルヴァルと発音するのを聞いたので日本式には従いません。日本の仮名振りはいい加減です。それなのに数の暴力で最適ではない書き方がまかり通ってしまう。いちいち英語を経由するのもおかしいと思う。私は大嫌いだ。

  

  

   




これがその天井画(ちょっとボケてた。悔しい!)。

Mittwoch, 2. Januar 2008

ロシア人の遊び場 ヘルシンキ

「初詣ではロシア正教会へ」と,成田山新勝寺のようなスローガンを勝手に作成して,今日はウスペンスキー寺院に馳せ参じました。
ロシア教会なんて,私の日頃の活動範囲ではそうそう行けるものではありませんから,数あるヘルシンキの教会の中でもここを選びました。




今朝,最初の朝食をこの宿で摂りましたが,驚いた事に聞こえてくる外国語の殆どがロシア語でした。
フィンランドは,ロシアの西隣です。フィンランドの鉄道規格はロシアタイプなので,陸続きの隣国スウェーデンとでさえも直接繋がってはいません。確認していないので自信はありませんが,ヘルシンキ中央駅で見られる国際列車はロシア行きのみだと思います。ロシア人観光客なんて,考えてみれば当然の事なんでしょうけど,特に意識もしていなかったので,油断していたところガツンとやられたような感覚でした。
その後,外に出てみると,やはりロシア人が多く(免税での買い物が日本人並みに好きなようだ),また当局もロシア語版の地図を用意したりと無視出来ない客である様子が伝わって来ました。そう云えば昨日も,駅のカフェにロシア語だけで押し通す毛皮のオバサンがいたっけ…。店員さん(英語ウマい)が手に持った品を指して確認してもダーとかニェートとしか言わない。イエス,ノーくらい聞いた事あるだろうが。日本のオバサンだってそのくらいは言うぞ。

なお,ここでは私の宿敵,イタリアとスペインの観光客には殆ど遭いません(この字でこの場合正しい)。去年のストックホルムには随分いたような気がするけど,今年は正しく寒いから北を避けてるのか。



今日見ただけの物言いですが,ロシア人観光客,お行儀はあんまりよくないですね。ガッツいて買い物したり,気持ちが決まる前から並んで後ろの客にメイワクをかけたり。

そして,今日こそはとサウナに出かけたのですが,その場に居合わせた婦女子もペテルブルクから来たと云うロシア人でした。弁護士で,ヨーロッパ全域に出張し,仕事後は旅行を楽しむんだそうです。だからでしょうか,この人は行儀よかった。
ロシア人がヘルシンキに多いのは鉄道一本で来られる(ペテルブルクまでは5時間)事の他に,90年前まで(昨日からは「91年前」。フィンランドの独立は1917年)はロシア領だったからと云う理由もあるんだそうです。女史はフィンランドの英雄,マンネルヘイムさんを引き合いに出していました(日頃勉強しているとこう云う時に役立つ。女史が何を言っているのか判りましたから)。町行くロシア人に,そんな意識は微塵もなさそうですけど。小金を持った中国人が日本に来るのと同じように見えたんですがねぇ…。
モスクワの物価って,世界で3番目に高いんですって(1位東京,2位ロンドン。但しこの人には来日経験ナシ)。知らなかった…。

「初詣ではウスペンスキー」とは,ここに来る前から考えていた事。今からお話しする事とは,計画時,まるで結びつきはしなかったんです。

なんだか今日はロシアづいていました。

Dienstag, 1. Januar 2008

Hauskaa Uutta Vuotta

新年明けましておめでとうございます。

折角楽しくなってきたヴィーン滞在も早々に切り上げ,今朝の飛行機でヘルシンキに入りました。時差1時間。損した気分ではありますが,さすがに1時間なら順応も容易です。
一応年度で物を考えるクセがついているので,気持ち的には9年振り…ではあるんですが,まぁ,今日を以て「10年振りのフィンランド」になってしまいました。


以前の滞在では,フィンランド中部に自宅を持つお友達(残念ながら先方の激忙と互いの英語力のなさでコンタクトを絶ってしまった)を訪ねました。このお友達には毎年のようにフィンランドにやって来るハンガリー女子の客人(ブダペシュトでフィンランド文学を専攻すると云う奇特な人だった)があり,そのハンガリー女子と一緒に,ヘルシンキに仕事―期限が来る公務員と申しますか―を持つお友達が借りているアパートに寝泊まりしました(フィンランドでホテルを取ったのはこれが初めて)。私の最初のヘルシンキ知識はその人から得た物です。
ただ,この時ヘルシンキはただの中継地点だった事もあり,教わったのは町のごく中心,お買い物通りとでも呼べそうな通りだけです。今では日本でもメジャーになったマリメッコやアアリッカと云った店を教えてもらいました。この時買ったマリメッコのボーダーTシャツ,いまだに持っています。

まだ活動するには十分な時間に到着したんですが,今日は祝日。自分の身体は空いていても,「やってるのはカフェと駅」ではハナシになりません(ここではクソマジメに飲食店も多くが休んでしまう模様)。そこで,数少ない自分が記憶している通りをおさらい。アパート付近の建物,大聖堂,市が立つ広場,お買い物通りは憶えていました。でも,当時は暗くなる前にアパートに帰る人間だったので,夜の姿を見たのは初めてでしたけど。

ここに来る前,在住の方(日本人)に気候について質問させていただきました。風が強いと伺っていましたが,果たしてその通りでした。強風の程度は想像以上でした!気温はヴィーンよりも高いけど,体感温度は互角。水辺に行くとヴィーン以上の寒さです(スゴいの。波打ってるし。ストックホルムでは殆ど波は立っていなかった)。
眼がシバシバして,ギュっと閉じると涙が滲み,出た先から風で急速に冷える。顔に残したままではあかぎれそうな気がして,すぐ手で拭いました(ハンカチとかタオルとか,そんな余裕はない)。
ヴィーンでは頭の冷え対策を講じましたが,ここでは頭を覆う帽子ではなくて,顔を覆う何かが欲しい。
chick_peaさん,ありがとうございました。




昨日までは蒸気風呂,今日からはサウナ。だけど疲れたせいで迷っているうちに時間が来てしまい今日は断念。さっき覗きに行った勢いで入ってしまえばよかったか。

ヴィーン電飾大賞2007

まるで頼まれてはいないのですが,勝手に決めた今期一番の電飾。
それはWIRTSCHAFTSKAMMER(意訳がしづらい。経済全般を取り扱う営利研究団体…これで正しいのかなぁ)のこのポンポンです。私は初めてこれを見た時ビックリしました。なんてカワイイんだろうと思いました。立体的な電飾でも,ここまで頑張っている物はそうそうないでしょう。今期が初めてではないのだとしたら,今までの私の目は節穴でした。ずっと続けて欲しいです。




  

  

 


全景はこんな感じ。




帰国後,加筆訂正中。WIRTSCHAFTSKAMMERのリンク貼り作業において,電飾について書かれている記事を見つけました。でも自分のところの事じゃなく,ヴィーン中心部の事みたい。