Montag, 31. August 2009

ハンブルクでのお遣い

帰国当初は「買って来た物と旅自体の報告を交互に」なんて思っていたのですが,時系列的にネタを並べているとまるでそのとおりに行かない事が判明。と言うのも,ドイツでは新居物件としての物を殆ど買っていないからなんです。
私は当初の計画通り,新居用品を探す為にノルディック2国を選びました。果たして目的の一部は達成されましたが,計画通りに運び過ぎました。ドイツでは直接的に部屋作りには関連しない物ばかり買って来ました。
特定目的の資料とか本,ポスターとポストカード,CD,携帯…そんなもん。外見を飾る物ではなく,知的好奇心や文化欲求を満たす物,生活必需品。これがドイツに於ける私の散財生活の傾向です。特に本。今回は少なかった物の去年は5,6冊買ってしまった。独語力が増すにつれ,厚い物にも手が出るようになりました。実際には帰国してみると読むヒマがないんだが…。

で,これです。





これはお遣い品です。このカタログ(左の。右のはミニチュア・ワンダーランドでガメて来たカタログ)を模型ショップで買って来るように頼まれました。
私は日本にいるうちに,自分が根城を構えていたアルトナ地区にある模型ショップの所在地を調べておりましたが,いざハンブルクに入ってみるとアルトナでくすぶっているよりは中心街に出たいと云う気持ちが強まり,学校(と,日によっては昼食会)が終わると荷物を部屋に置いてすぐにSバーンに乗り込んでおりました。
だから結局,専門誌を立ち読みして中央駅から最も近い“ショップ”を捜し出して向かう事になりました。

1日目,8月3日。ショップには見本用が1冊あるのみでした。小さい息子を店で遊ばせていたスタッフのオッサンはどこかに電話をかけ,「他のスタッフが持ってるみたいだから取り寄せとくよ。明日以降また来て」と言われました。

2日目,8月5日。言われたとおりショップを訪れるも,カタログは届いていませんでした。どうもオッサンが,前日休んだ為に同僚に頼むのを忘れたらしい。慌てるでもなくその場でどこかに電話をし(どこだったんだろうか。月曜日はあると言った同僚なのか?),結果,ないと云う事が判明。おえー,どうすりゃいいんだと思い,訊いていいものか躊躇いつつも,オッサンに「このへんに他にショップはない?」と質問。すぐ近くにあると教えられました。そこにもシグナル(踏み切りの垂直バー。…なんと言えばいいんだ?)がついてるからすぐ判るよ,と。
シグナルが見つかるかは判らなかったけど,兎に角通りの名前はシッカリ憶えて店を出ようとする時,別の殿方に声を掛けられました。てっきりスタッフだと思っていたその人はお客でした。「これからそっち行くから案内するよ。一緒に行こう」と言ってくれました。
心強い相棒を得て,私はそっちの店に移動。店員は中年のオバサンでした。あまりにあっけなく,カタログは見つかりました。そこまで案内してくれた殿方に見つかった事を報告すると,「よかったね。こっちの店の品揃えはあっちよりも新しいんだよ」と教えてくれました(“くれました”…)。
私は判り切った事を敢えて訊いてみました。「模型,好き?」と。殿方は「うん,大好き」と眼を輝かせて回答。私は兼ねてからテッチャンについて「少年の心と大人の財力を兼ね備えたマニア」と定義しておりましたが,その少年の心に久し振りに出会えた気がしました。
いい大人がホントに眼を輝かせたんです。ウソでなく,幸せそうでした。私はプッ!と思う気持ちをどうにか隠して,殿方にお礼を言って別れました。
殿方は親切で,好意的に接してくれました。ドイツにもごく少数の女テツがいるようですが,同志と思われただろうか。私は違うぞ。……。

一応,最初の店のオッサンのところにも寄り,見つかったよ!と報告。電話中だったオッサン(なんでそう何度も電話する必要があるんだ)は親指を立てて祝ってくれました。

Dienstag, 18. August 2009

私はスタイリスト

本日朝,日本に戻って来ました。
新居用の諸々が重くて重くて,途中で死ぬんじゃないかと思うほどでしたが,どうにか乗り切り,別送する事無く,全て自分で運んで来ました。
いやー,シンドかった。併しこれも全ては自分の住生活向上の為の苦労。誰にモンクが言えましょう(実際誰にも言ってないが)。


激しくくたびれるのは毎度の事ですが,重い荷物を運んだからか今回は肩が痛くて痛くて。両肩に袋を提げた状態で空港内を歩き回りました。全てのタラタラしている客,歩き方が定まらない客がウザかった。
駆け出しのスタイリストって,こう云う生活を送ってるんだなー,としみじみ思いました。アホだが。
昼間から夕方まで仮眠を取りましたが,肩は重くなるばかり。腕を上げるのがツラいっす…。

し終えていない報告,品物については,今後申し上げようと思います。




財布の中身を円に戻すと,いよいよ寂しくなってしまいますが,仕方ありません。
今回使った通貨は2種。お世話になりました。

Sonntag, 16. August 2009

コルケアサーリ動物園 Korkeasaari

船旅が出来なくなり,ポッカリ空いてしまった1日。
当初「もう1日あればなぁ…」と思っていた「もう1日」が不本意にも出来たので,アラビア博物館(アラビアとは,陶磁器の会社。ここのプロダクツには私好みの物が多くあります。私はここのファンだけど,現在日本にはこのコレクターが降って沸いたように存在してるけど,私はブームに乗っている彼女等とは距離を置きたい),アテネウム,そして動物園に行く事にしました。



  

ヘルシンキ鉄道駅からこんなド派手なバスが出ています。内装も動物園感が強調された強烈なやつ。この路線の終点が,動物園への入り口です。
島を丸々動物園として供用しているのですが,バスは島の前で停まってしまいます。橋を渡って島に入ります。

で,こんなとんでもないバスを出している割に動物園自体は精彩を欠いているんです。生気がないと云うか…。
動物君が痩せているとか展示ブースが荒れ放題と云った事は全くないんですが,なんだか妙に寂しげで。改装中のエリアが多いのと客が異常に少ないのがその理由か。

 
  

  

  

  

  

  




明日,日本に戻る飛行機に乗ります。したがって,今日も4日前の悪夢に苛まれています。荷詰め。ここで荷物が死ぬほど増えたので,本当にシンドい作業です…。

Samstag, 15. August 2009

スオメンリンナのリアルライフ

前号で,私はスオメンリンナには900人が住んでいると申しました。
その900人の為のスペースにも,観光客は立ち入る事が出来ます…と云うか,「知らん間に入ってしまっている」と表現するのが適当。でまた,入っちゃダメとは謳ってないんですね。「ここから先,一般居住区。宜しくね」と配慮を促す看板こそ観たものの,ない場所も多く,境界が緩いと云うか曖昧と云うか。

で,私も立ち入ってしまったんですが,これがまたステキ!観光客用のスポットよりこっちの方が好きと言う人もいるんじゃないでしょうか。少なくとも私には,その傾向が多少あります(アトラクションと民家の内容及び程度に因る。当たり前だが)。

最上段の3点については観光向けではないと言い切れるだけの自信がありません。ただ,フィンランド人のウィンドウディスプレイ術はおしなべて高水準。ショップ以外は目も当てられない我が国とは違います。中段,下段は確実視していいと思います。スオメンリンナに於ける,人々の日常。ヘルシンキのような大きい町の中心部を歩いているだけでは,普通の人の庭は殆ど観る事が出来ません(基本的にフラット住まいだから)。楽しんでる感がステキです。ハンモックとかブランコとか,マネする気はないけれど,ちょっと羨ましいです。
何人/何世帯が共有しているのかは知りませんが,子供用の砂場もありました。




  

  

  


スオメンリンナ Suomenlinna / Sveaborg

ヘルシンキに来る前,まさに日本で計画を練っている時からやる気満々だった船旅が,満席の為に出来なくなりました。
大真面目にシャイセ,そしてショックです。今日もダメ(17時なら…と言われてフザケンナと思った),明日もダメ(行けるけど帰って来られない),明後日は帰国する日です。クソーーーーーーー,歩き方の指南書め,これこそ書いておかなきゃならん事だろうが!!!
あんな本,基本的に信じていない私ですが,不案内な事項については仕方ないのであてにします。書いとけ,ホントに!!!

これでよーーーく,学習しました。週末は要注意。事前予約をすべし。この借りはいつか返したるさかいに。

気が抜けてガッカリした私は,「もはや全てがどうでもいい」とばかりに暗くなり(とは云え話し相手もいない現状では見た目はひとつも変わらず),本気で行こうとは思っていなかったスオメンリンナに行く事にしました。
スオメンリンナは世界文化遺産。1991年に登録されたらしいので,キャリアとしては長い方ですかね。
スウェーデンに支配されていた頃,ロシア対策の一環として造成された要塞です。現在は観光業上重要なアトラクションあり,海軍学校もあり,約900の国民の居住地でもあるようです。天気が良かった事も関係しているんでしょうけど,さすがに観光客は多かった。子連れのフィンランド女子をナンパするアホなイタリア人を目撃しました。




  

  



  

  



  



  

  

スオメンリンナの記事,もうひとつ行きます。