Montag, 31. Mai 2010

開基152周年オメデトウ!ハバロフスク(1) Хабаровск(1)

1858年の5月31日,ハバロフスクに帝政ロシアの監視所が誕生したそうです。これがそのまま,開基日とされています。今日は言ってみれば,町の誕生日なワケですよ。
ウラジオストクからの移動について,まだここに載せてはおりませんが,取り敢えずは今日を祝いたく。




町は専ら,近づく戦勝記念日で盛り上がっていましたが,ホラ,心ある人も勿論います。
3つ目の単語が解りませんが,…ここまでハッキリ5月31日と書かれていれば祝うべき事はひとつでしょう。






こう云う扇情的(と言ってはマズいか?)な看板が散見されるのがロシアです。
満足な辞書がなく,満足な知識が備わっていないこの状態では推理するしかありませんが,
上のは「強い地域 ひとつのロシア」
下のは「我々の…… …極東……」…これじゃ意味を成さない。解んないー。


 

当地の市章はクマ。ウラジオストクよりよっぽどトラの地域に近いんですけどねぇ(Wikipediaにはトラと一緒にされた市章が載っていますが)。

ハバロフスクには長くいたのでネタがまだあります。追って披露いたします。

Sonntag, 30. Mai 2010

軍港としてのウラジオストク Владивосток и Тихоокеанский Флот

ウラジオストクはロシア海軍太平洋艦隊の本拠地です。
その為,観光客は写真撮影の際,常に海軍兵から因縁をつけられるのをビクビクしなければなりません。
海軍兵はそのくらい,大勢います。基本的に3人でグループを形成し,市内を練り歩いています。兵役すらない国で生まれ育った日本人には見慣れぬ光景であります。
ここに私は軍艦フォトを載せておりますが,これとて合法的な行為なのか実際にはわかりかねます。この程度の写真ならちょっと検索しただけでゴッソリ出て来ますが…たまたま見つからなかった,つまり運がよかっただけなのかも知れないし。

町では軍港ならではか?ってな演出が結構見られます。こんなカワイイ演出も,この地の人はやるんですね。



  

  



  



  

Samstag, 29. Mai 2010

APECホントに出来るのか?ウラジオストク Владивосток

ひえー,3週間もサボってしまいました。もう月が替わってしまう…いけませんね。
この旅の報告をどのようにすればいいか,ちょっと考えていたんですが,私の訪れた2都について申し上げ,その後共通ネタを投入する事にしました。

先ずは最初の目的地,ウラジオストク。
私が旧西ヨーロッパにばかり行っているせいでしょうけど,とても雑な印象を受けました。
モニュメント的な物は御立派なんですが,そこで息切れしてしまったのか,公共性の低いところはまるでダメ…いえ,比較対象がいけません。
全体としてホコリっぽい。実際にホコリも舞ってますから名実ともにではありますが,…なんと云いますかこぅ,キラキラしてないんですよね。

行った時期が悪かったのかも知れません。木は芽吹く前だし,防滑用のジャリが撤去されていない(だからこそのホコリ)し。5月ではありましたが,イメージ的には初春ではありません。秋でした。



  

大きい事はいい事だ。極めてソヴィエト的な建物感だと思います。威信をかけるのが好きですよね。
私が実際に観たソヴィエト建築(なんてカテゴリーがあるのか?)はワルシャワの文化科学宮殿だけですが,……異様です。空間処理方法も効果を生んでいるんだと思います。“余白”が大きいから,その聳え立ち具合が強調されるんですよね。
失礼,前置きが長くなりました。この白亜の高層建築はウラジオストク市庁舎だそうです(超テキトーなガイド女史の言)。土地の者はWhite Houseと呼んでいるらしい。この突出感,ブキミですらあります。
様式こそ現代的になっても,やってる事は今までどおり。そんな感じでした。


  

  

  

  

当地では2012年にAPECが開催される予定です。町を歩いていると,たくさんの新築ビルや工事現場に出くわします。併し,周囲の環境(エコ的な意味での環境ではなく)を整えようと云う意識は感じられません。基本的に雑な町に突然カッコいいビルが出現する,そんなイメージ。金欠国家だし,個人の住居まで手を入れる事は出来ないんでしょうけど,ちょっとは気を遣えやと…(例えばすぐ上の段の真ん中。このファサード,ヒドいと思う)。
いくら開催予定地は新開発のルースキー島だと言ってもなぁ。
ロシアに薄ーーーく興味を持ち始めた頃,私は「APECをウラジオストクの代わりにサンクトペテルブルクで」なんて記事(独語です)を見つけました。
曰く,金欠状態に陥って予算が割けなくなったからと。要するに国としてはこれよりもソチに重きを置いてるワケなんですと。まぁそうですよね。対外的な影響力を考えれば五輪に較べると“たかが”感は否めません。
実際に行ってみると,やっぱりここでは出来ないんじゃないか?って気がしてきます。代替地がペテルブルクじゃあ“AP”ECではなくなっているように思われますけど…。




市章に登場するのはトラ。勿論これは公共物ではありませんけど…。
町をあげてのトラってのは,ちょっとステキ。

Sonntag, 9. Mai 2010

ソ連の戦勝記念日(1) ウラジオストクにて

今日は現在のロシアと,かつてソヴィエト連邦に属していた複数の国にとっての戦勝記念日であります。
まぁ対独(対ナチとされている場合が多いが)の戦勝記念日ですから,ドイツ贔屓の私にとっては複雑ですけれど…。
と,さも知ってそうに言ってはおりますが,これは現地で判った事。ガイドさんから聞いたワケではなかったので,そこらじゅうにあるポスターに載っている年号から推測し,小辞書で調べて確証を得ました。
大々的な行事であるらしく,町はもうこれ一色と云った感じでした(これ→はウラジオストク空港で見つけた物です)。

初日の夜には宿に直行,翌日の夜にはハバロフスクに向かってしまうと云う短いウラジオストク滞在の中,私はこれだけの偉人を見つけました。探せばもっといたのでしょう。
尚,この偉人群,ハバロフスクでは一切見かけませんでした。この町オリジナルなのか?



    

    

    

ドイツ軍の英雄なら何人かは知っているけど,ソヴィエト軍の知識は皆無に等しく,名前と肩書きは文字から知れるものの,付加情報が一切ない状態では,彼等がどれだけの偉人なのかがまるで判りません。残念です。

Donnerstag, 6. Mai 2010

Здравствуйте Япония!

昨日,予定通りロシア極東部から日本に帰って来ました。
最終日に脚を激しく挫くと云うアクシデントに見舞われ,激しく動く事や自力での遠出にはドクターストップがかかっておりますが,高熱を出して空港で呼び止められるような事はなく,内科的には大丈夫です。




極東…。……いやー,新鮮でした。面白いところでした。そう申し上げておきましょう。
ネタがまとまったら見聞記をお送りします。暫しお待ちを。