Donnerstag, 18. Februar 2016

シューベルト最後の住居 Schubert Sterbewohnung

オーストリアの歌曲王シューベルトが臨終を迎えた住居は,現在当局の管理の下一般公開されています。


この建物の前は何度も通ってきたけれど,見学云々について意識した事が今までなく,今期も外観を観ようと出向いたところ,公開時間が出入り口の横にくっついているのを発見。閉館まで残り45分と云う状態ではありましたが,“耐乏生活”を送っていたシューベルトの住まいが豪邸である筈がない(→短時間でも見学可能だろう)と判断し,入ってみる事にしました。




我々が見ることの出来る部屋は3つだけ。右下の記録は住居内の廊下ではありません。管理の為に一部使われている事を考えても,非常に小さな住まいです。耐乏生活と申し上げましたが,それには疑いの眼も向けられているようです。しかし貧乏でなかったにしてはどう見ても歌曲御殿とは言い難い住居…。金をつかんでも使う前に病魔に侵されてしまったんでしょうか。
3年前に見学したライプツィヒのシューマン邸の立派さが思い出されます。





中には往時の記録がいくつか展示されています。下段左は墓所の為のデザイン画ですが,実際の墓石はもっと簡素なものでした。そしてその隣。窓からの景色…ではなく,この結露に眼が留まりました。二重ガラスなのに!ここは欧州なのに!と云うツッコミをしたかったからではありません。この住居にシューベルトがいた時,本当に貧乏だったとして,この窓は結露したんだろうか,しなかったんじゃないかと考え,非常に寂しい気持ちになりました。
展示の中には「5日(ウロ憶え)食べてない」と本人か兄のフェルディナントが人に書き送った物がありました。その状態で暖も取れなかったとしたら地獄だな…。

閉館ギリギリになる事もなく,淡々と見学し淡々と退出。その時点でまだ残り何分もあり,最終入館時間を設定するような大きな施設でもないのに,店番のオッサンは私を送り出すと同時に消灯をし始めました。いいのかあれで?

Dienstag, 9. Februar 2016

ヨーゼフ・フランクの特別展(2) Josef Frank Against Design (2)

展示の後半はスヴェンスクト・テンに於ける活動に割かれています。私にとっては真打ちの登場。奥には自分が最も観たかった物が控えています。隙間から見えるのでそれがとっくに判っているのです。解説パネルの前では気もそぞろ。




生地は当然展示されているんですが,こんな強烈な家具もありました…張り地はわかるけど,キャビネットはちょっとスゴいぞ…。



この生地の滝は壮観です!ただでさえ大胆な大柄が一堂に会するととんでもなくうるさい。もうワケがわかりません。横の壁にはそれぞれを平面的な長方形に切った物が並べられていました。



生地その物は勿論美しく,観られて嬉しかったんですが,それよりも,ここではこう云った展示物にしみじみ感動しました。こうやって一枚一枚仕上げられて行くのだなー…と。



 

いやー,ホントにいい物を観た。充実感と共に展示室を去りました。

Montag, 8. Februar 2016

ヨーゼフ・フランクの特別展(1) Josef Frank Against Design (1)

繁忙期を終え,ひと月の沈黙を破って冬休み報告を。
ヨーゼフ・フランクはオーストリア出身の建築家にしてデザイナー。特別展が催されるのは当たり前と云えば当たり前なんでしょうが,長年通っているものの,ヴィーンでこの人が取り上げられている場面を見た事はありませんでした。

日本に於いてはこの人は私の嫌いな“北欧”括りに組み込まれている感があります。私が嫌いなのはあくまで用語と,及びその用語を使う業界としての“北欧”であり(だから括弧付き),北ヨーロッパの国のプロダクツは大好きです。フランクは日本ではスウェーデンの老舗スヴェンスクト・テンの代表デザイナーとして最も知られているのではないかと思いますが,出身国には建築作品は残っていても,ファブリックデザインに携わっていた様子は展の範囲では見られませんでした。

帰国後今頃になってお話ししているこの展,実際はまだ会期中でして,それに合わせてスヴェンスクト・テンのポップアップストアが出ています(行きたかった…泣)。上述のとおり,オーストリア人にとってフランクは多分建築家。逆に超絶有機的なモティーフの嵐が新鮮なのかも知れません。






展は先ずフランクの家具・建具考から始まり,





模型,写真とともに建築作品を紹介。申し上げたとおり,建築作品はオーストリアに多く見られたようですが,スウェーデンにも残っています。

続いて。