Dienstag, 30. September 2014

ベルリンの蚤の市(1) Berliner Floh- und Trödelmärkte (1)

前回のベルリン訪問時,私は正教会で面白い経験をしましたが,同じ場に飛び込む事はせず,今年は蚤の市を冷やかしてみようと思いました。
ベルリンには私が調べただけで5つか6つ,他にお友達から別の市の存在を聞きました。その中からいくつか,見てきました。


マウアーパーク Flohmarkt am Mauerpark




私が見に行った中では最も大きなスペースが割かれていたように思います。店の数はとても多く,フードコート?も併設されています。商品カテゴリーは多岐にわたっていました。所によってはかなりゆったりしていて見やすいんですが,見たくなる品が多いかと云うと…ウッ(だから規模に比して記録が少ない)。
ここには新品を売る業者も参入していて,その中のひとつの店でブリブリの小物を調達しました。



アルコナプラッツ Trödelmarkt am Arkonaplatz






そんなに大きくはない広場で開かれている市。品揃え的には私の好みに合致していました。キリル文字とかDDRプロダクツとか,私が「お?」と反応してしまう品が充実。
ところで1,最上段真ん中の電話器,その後何度か目撃しました。Volksナントカなんて,いかにもDDR物件です。
最下段の愛くるしいオモチャ,実は特段注目してもいなかったんですが,オイチャンに「これも撮れよ!」と突き出されたので仕方なく。当然購入もしていませんが。


蚤の市報告,続編を用意します。

Freitag, 26. September 2014

アレクサンダープラッツのよくわからないお祭り

ベルリンのシンボル的に使われる物としてテレビ塔が挙げられますが,その塔のお膝元であるアレクサンダープラッツで,暫くの間お祭りが催されていました。私が到着した3日には既に行われていたのでいつ始まったのかはわかりませんが,9日か10日が最終日だったと思います。その次の月曜日には片づけられていたような気がするので。
パフォーマーやら屋台やらただの店やら,とにかく雑多な感じのよくわからないお祭り。連日この通り,大盛り上がりでした。人が座っているところの記録しかないのは,この他の場所,例えばパフォーマーの舞台(と云っても段差ナシ)なんかは激混みで何も撮れなかったからなんです。








祭りの場には何度も居合わせておりましたが,ここに載せた殆どの記録は9日の物。フランクフルト・アン・デア・オーダーから戻り,「まだちょっと外で遊びたいなー」とフラフラ欲が高まって,帰宅を引き延ばしてここにいました。
とは云えマトモに食べてもいなかったので中途半端に空きっ腹の状態でベルリンに戻って来た私は,血迷ってバジリコ味のついたニョッキを買ってその場で食しました。最初のうちはウマいウマいと食べていたものの,折り返し地点で飽き始め,完食はしたものの,バジリコの濃さと油にすっかり負けてしまいました。



祭りの後。

Mittwoch, 24. September 2014

スウビツェ Słubice

フランクフルト・アン・デア・オーダーへの数時間の遠足でよもや3記事書くとは,遠足している間は想像もしませんでしたが,初回でも申し上げたとおり,こうして見返すとやっぱり結構記録してました。
3部作の最後,越境した先のポーランドの国境町スウビツェについて今日はお送りします。…とは云うものの,そもそもフランクフルト・アン・デア・オーダーへさえとっさの思いつきで来たくらいですから,スウビツェへの事前知識は皆無。町の名前すら知らずに来ましたが,橋を渡り切ったあたりにデカデカと表示されていたのですぐ判明。フランクフルト・アン・デア・オーダーと同じ雄鶏の紋章を用いるあたり,両都市の結びつきと云うか因縁と云うか…ま,繋がりが見えます。1945年まではフランクフルト・アン・デア・オーダーの一部だったそうなので,いかにも独波国境であります。
この町にあるコレギウム・ポロニクムはフランクフルト・アン・デア・オーダーの欧州大学と連携しているのだと,大嫌いなドイツ魔女が言っていました(大嫌いだけどウソはつかないので正しいのでしょう)。

張り切って渡って来たはいいけれど,渡る行為を楽しみたかっただけですから,ここで何をしたでもなく,ただ中心地っぽいあたりを歩いてきましたが,…うーむ,典型的なポーランドのシケた弱小地方都市。




橋を数分渡っただけで違う国に入れるのは,このへんの人には当たり前の事なんでしょうが,やっぱり私には新鮮な事であり,個人的にはこの「PL」看板が並んだ画が一番のお気に入りだったりします。







案内地図によると,町の中心は川のあたりのようですが,ちょっと気を遣ってそうな短い通りがそれらしく,そんな通りですらさびれ感大。ポーランドではよく見る,ガタついてるのに修繕されずにいるバルコニーとか煤けるにまかせた外壁なんかはここでも健在。これだけ近ければここの人達はドイツの隣町にも行くだろうに,なにも思わないんでしょうか…思っても動けないか。行政が予算の都合で手を付けられずにいるだけかな…。

鉄道駅は遠く離れた場所にあり,なんだか住みにくそうな…。



お,サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道だ。




ポーランド語ですとこの川はオドラです。オドラ川沿いはドイツ側同様市民の憩いの場とみなされている様子。真下までは降りにくいけれど,ドイツみたいにキッチリ護岸工事されてもいない(ツィーゲンヴェルダー島に行けば自然の川べりを楽しめますが)ので,それがイイと思う向きもあるでしょう。



これが越境橋。名称,調査及ばず…。




欧州連合加盟国同士ですから,渡り切ってもこんな看板があるのみ。ここからまた駅まで歩いて,ベルリンに戻りました。地味ながら楽しんだので,予定を大幅に超過しベルリン入りしました。

Dienstag, 23. September 2014

フランクフルト・アン・デア・オーダー(2) Frankfurt an der Oder (2)

前回私の最果て願望についてちょっとだけ触れましたが,要するに端っこに行ってみたい気持ちが私にはあるんです。
と云っても地球の終わり的最果てはシティ派(物は言いよう)の私には残念ながら縁がなく,せいぜい欧州西端,アイルランドはアラン島の西の断崖絶壁のキワで匍匐前進したくらいです。ドラマチック要素は強風(そこに立ったら墜ちるほどの!),低温,大雨くらいで,私にはこれでもハードな部類でしたが,基本軟弱ですから「この先は***」的な場所にいってその先を観て満足すると云う浅い行為で十分。

そんな浅い私のお気に入り行為が徒歩での越境。これは自分の国では出来る事ではないので,チャンスに恵まれるとやりたくなります。フランクフルト・アン・デア・オーダーはポーランドとの国境にある町で,オーダーとは我々が歴史で習ったオーデル・ナイセ線のオーデルの事ですから, この川を越えればそこはポーランドなワケです。2002年にはゲルリッツ(独)-ズゴージェレツ(波)間でナイセを挟んだ越境に挑戦しました。この頃ポーランドはまだ欧州連合に加盟しておらず,国境で警備のイカツい兄さんに旅券の提示を求められました。実際には越境だけ出来ればよかったものの,とって返したら兄さんに目を付けられるんじゃないかとズウォティの持ち合わせもないのに暫く公園に留まり,日々そこに集っている御老人と仲良くなったっけ。
そんな記憶もあって,対岸にポーランドがあれば渡ってみたくなる私。今回も,当時の緊張感はもう味わえないのを承知の上で越境してきましたが,越境後の様子は次回に引っ張り,今日はオーダーに面したドイツ側についてちょっとばかり。



川の向こうはポーランドです。これを横目に見つつ,遠方のワサワサした木の集合体を目指して川べりを歩きました。途中地面に見えたボコボコ…ウサギか?



 

見えてきた橋を渡り,ワサワサした木の集合体が小さい島である事を知りました。島はツィーゲンヴェルダーといいます。ぐるっと廻りはしませんでしたが,明るい時間でも繁った木で適度に暗く,夏の散策にはナカナカ良さそうです。



うーん平和だ。

この平和な眺めを堪能したのち,元来た道を引き返して更に進み,越境出来る橋に向かってずんずん歩きました。



国旗色の柱。2002年以来です。川を挟むと云う条件は当時と同じなので,どんな条件下でも国境にはこの柱が建つのかはわかりません。今回は見つけられませんでしたが,ポーランド川には当然,紅白のシマシマの柱が建っている筈です。
この鐘の下には「平和は戦争に打ち勝つ」と云う碑があります。当時と関わりのある物なんでしょう。




そんなにウキウキしてはいなかったつもりですが,ドイツ側からは橋を記録しそびれました。…ま,いよいよ越境です。このコンクリートが仕切っているみたいです。右側はドイツ,左側がポーランド。