Mittwoch, 30. Dezember 2009

郵便貯金局 Österreichische Postsparkasse

オットー・ヴァーグナーの傑作,郵便貯金局。私の大好きな建築物です。ヴァーグナーのみならず,あの時代にこの手の意匠はそうたやすく受け容れられてはいなかったでしょう。ロースハウスには非難囂々だったと聞いています。その上これは公的機関の建物…。多分普通の人には相当衝撃的だったはず。
私は約15年前からヴィーン通いをしていますが,ここには極めて初期に詣でています。好きな割にその後詣でていなかったのですが,今期,久し振りに行って来ました。
私のようなファンが多くいるからなのか関係ないのか,いつの間にか建物内の一角に博物館的施設が出来ていました。
「いつの間にか」と書きはしたけれど……本当は昔からあったのか?
以下の画像には博物館,通常業務を行う区画,外部を混ぜ込んでおります。ここでは内部撮影も許可されています。
ヴァーグナーの,このお言葉。こう云う物を創った人の言葉だなぁと思います。激しく同意。



  

  



  

  

続いてディテール。ユーゲントシュティールの建築家は調度品まで手掛ける事が多かったように思います。私はヴァーグナーのトータルコーディネイトが大好き。どの建物を観ても,外にも中にも惚れ惚れしています。なんでしょう,この美しさ。



 



観光業的にスター性のある観たい物は殆ど観てしまった私には,特にテーマを設けでもしなければヴィーンではネタを見つけられません。いつもトホホ物件ばかり探しています。
今期はユーゲントシュティールの建物をたくさん撮ろうと思い,資料も用意していたんですが,日照時間の短さに資料の半分もやれなかった…。
やっぱり夏じゃなきゃダメですわ。夏に行く事もあるでしょうから,その時までこの課題は持ち越しです。

本日は2010年1月17日。
現地では私,「…昨日の問題がまだ解決しないので,意気揚々と記事を書く気持ちの余裕がありません。暫しお待ちを。」なんて書いていたっけ。
この問題は確かに解決しましたが,その後時計を失くしたり,帰国してみると,まとめておいたはずの日本のキャッシュカードが見つからなくなったりと,また別の問題で落ち込んでおります。
失せ物(手許から永遠になくなる物に対して。自分の領内では,すぐに必要としない物はしょっちゅうなくなる)をしない事にかけては優れていたはずの私がこんな失態をするとは…。失くした事と自分がこんな失敗をするのかと云う二重の落ち込みで暗くなっています。

Dienstag, 29. Dezember 2009

国際電話で疲れ切る

今日は日本で調べたヴィーンのイケてる店めぐりを。
…する筈でしたが,半分以上の場面で事前の不安が的中。大きなチェーン店ではない個人経営の店を多く見ようと思ったら,こちらではクリスマス休暇を勘案しなければなりません。
だからこの時期は期待してはいけないのを承知で歩いてみましたが,果たして予想通りの結果となりました。
閉まっていても閉まっている事実を確かめなければ気が済まない非生産的な性分が災いし…。
ま,わかってやっているのだからいいのです。目当ての店の近くに別のイケてる店を見つけた(そしてそれもまた長期休暇中)し,次回に期待です。





今日見つけたこれ。タクシーなんですけど,何?この草。意味があるのか?コンセプトは我々と同じか?
ここには多くのタクシーが客待ちをしていましたが,草を飾っているのはこれだけでした。


ところで今日,自分のクレジットカード会社に電話を掛ける用事が出来まして。
参りました。私側2人,先方2人。英語くらい喋れるようにしておけ!おかげでヒドい眼に遭いました。
そしてそれはいまだ解決を見ておりません(日本時間が朝の5時で,先方の担当者が決定権を持っていない為)。大概にしろよ。今日1日で歩いた肉体疲労よりこの電話での精神疲労の方が大きいってどう云う事だよ。
まだ日本時間が抜けてないのか,普段ならなんでもないこの時間に凄まじく疲れています。

Blogger,たまに病気します。今,画像のアップロードが出来ません。ナンデ?
明日以降,いじれるようになったらちょっと追加するつもりです。

Montag, 28. Dezember 2009

寒くない

ヴィーンにやって来ました。
今日は機内でロクに眠れず,到着前に多少身体状態をよくしておく事がかないませんでした。
こんな時は宿に篭って寝てしまえばいいところですが,日が暮れる前にヴィーン入り出来たので欲が出て。大通り1本をほぼ完歩(こんな言葉あるのか?)しました。バス停が4つも5つもあるような通りです。我ながらよく歩いた…。
今月中旬の寒波なぞなかったのかと疑いたくなる暖かさ。着いても帽子手袋の心配なぞ不要と云う珍しい状態でした。夜はさすがに冷えましたけど,いつもはこんな事ないんです。

町の様子は後日まとめてお伝え出来ましょうから,今日は飛行中の記録なぞ。





我等が霊峰。美しい!




シベリア上空からの景色を見るのが大好きです。
これは西シベリア低地。シベリアの東側では,これよりよっぽど太い川が縦断しています。
世界地理で習った事が絶対ありそうな,ド迫力の川です("河"か?)。
なんたる荒涼,なんたる厳しさ。萌えます。降り立ってみたい。どうなるんだろう。





大通り歩破の際見つけたこれ。
この店は三聖人の日までお休みです。どこか他の店で取り扱っているだろうか。欲しいなぁ。

Sonntag, 27. Dezember 2009

大統領さんいらっしゃい

冬休みです。
明日,ヨーロッパに向かいます。今期の行き先はバカの一つ覚えのヴィーンと,実に14年振り2度目のブダペスト。
望む未踏国はまだあるものの,行動が制限される冬に行くのは避けたい。去年行かなかったからヴィーンには是非とも。近隣国にはこの数年で結構訪問,さてどこにしよか…と,考えた時に,今まで「ナイ」としていた東隣の国への再訪を思いつきまして。
これだけ長いこと行かずにいたのは,前回「こことは合わない」と思ったからなのです。
“持ち駒”がなくなって,行く気になった次第です。




私が行きたくなる場所では,偶然に何かある場合が多いです。ヨーロッパの文化首都に当たったり,***の○○○周年であったり。
今年,オーストリアと日本は修交140周年を迎えました。そのせいか,妙に文化関連が充実していたように思われます。ハプスブルク物件が東京に大挙していたり,現代オーストリア芸術の発表の場が多く設けられたり。私はいずれの恩恵にもあずかりませんでしたが…。
併しまぁ,ほぼ毎年渡墺している私にはそんな偶然は自慢にもなりませんや。驚いたのは2009年は対ハンガリーでも記念すべき年だった事(こっちも自慢する事ではないんですけれど)。外交関係開設140周年及びその再開50周年だそうで。
140と云う数字が両国で共通しているのは当時二重帝国だったからでありましょう。だから寧ろ,再開50周年を記念する意味合いの方が大きいのでは。関係あるのか,今月,ハンガリー大統領が訪日されました。
だからなんだ,ってハナシなのは当然ですし,記念年とか現地イヴェントの類には興味がなく,それをきっかけにする事もない私にしては,やたらとこうした重なりが多いのです。ナゼなんだか…。

切手集めはしない私ですが,このハンガリー物だけはちよっと欲しくて,仕事場に来る封筒についていたのを失敬。本当はもう1つ,予約していたんですが忘れられてしまいました。

夏にハンブルクでハンガリー人と話す機会を持ちました。渡洪を思いついたのは今年の秋。当時私の頭には一切上って来なかった国でした。ハンブルク在住ではあったけどあの人の連絡先,聞いとけばよかった…。

Sonntag, 20. Dezember 2009

秋冬用カーテン完成

ちょっと前ですが,秋冬のカーテンを仕上げました。長かったなぁ…。
今度のは以前申し上げたうちのTurbulent。当初の予定通り,裾を引き摺る丈です。




結果…と云うのか効果と云うのか,は,……はかりかねます。カーテンを伸ばしていても,本気で寒い時は役に立たないし,隙間からの冷気はマジックテープでも貼らない限りは避けられないし。
短いのに掛け替えてみなければ,正しい結果は出ないんでしょうなぁ。
内側のカーテンはガーゼなのでしなやかに落ちてくれるんですが,これは裾できれいなシルエットが出ません。その上,床に触れるあたりに丁度縫い目を持って来てしまい,そこでカクンと折れがち。
真ん中で左右を合わせる時,粋に言えば後れた2枚のカーテンの裾が内掛からその下に着たキモノが覗いているようにも見えるんですが,それではそこから冷気が侵入しますから,そんな画を楽しむ余裕はなく,ムリヤリ両の裾を合わせるとゴテゴテしてカッコ悪い。…うーんヨーロッパの家のようにはいかない。
日々迷走しています。

Samstag, 28. November 2009

“レースのカーテン”としてのカーテン

夏の報告を終えた事で安心して気が緩み,気がつけば11月,ひとつの記事も載せていなかった…。
10月上旬までは余裕があったのにボケーっとしていて,その後は忙しく,入居の頃に色々練っていた計画は殆どが未着手。
必要に迫られてカーテンを作成した事は先般お伝えしましたが,私は自分自身閉鎖的なクセに,窓に関しては可能な限り開放的でいたいクチです。本当は全開にしたいんですが,我が生活圏ではそれはあまりに無防備な事ですから,外界を完全に遮断しない,薄く隠す布物,つまりレースのカーテン機能を付加しなければと思い続けておりました。
気温が下がってからは冷気対策の補強と云う点でも期待をかけました。
そこで私は今月,布探しに奔走しました。奔走ってのはオオゲサですが,布店と手芸店は勿論,家具屋さんでも布コーナーを覗きました。
その甲斐あって,先週とうとう意中の品を発見!ウキウキで持ち帰り,数日掛けて作成しました。





冷気よけも期待しているので,ヨーロッパの家みたいに裾を引き摺る長さに設定しました。カーテンレールに引っ掛けたクリップで吊るしているので,寒くない時期には上部で折っておけば摺りません(盛夏用に考えているのは白地に透け柄が入っているタイプなので,その時は使わなくてもいいかなと)。麻にしたので,延々縮み続ける事を考えて,必要以上に長く作ってあります。
部屋側にかけているMaalaisruusuは春夏用なので床に触れないようにしてあります。早く秋冬用のを作らないと…。

Samstag, 24. Oktober 2009

アラビア博物館企画展「パラティッシ40周年」 40 vuotta Paratiisia - Arabian museo

アラビアには博物館が併設されています。
前回の記事でお見せしたパラティッシはBirger Kaipiainen(私,氏の名をカタカナ表記出来ません。瑞語由来の名前に見えて,その場合はビルイェルだと思うんですが,日本では圧倒的にビルガーで流通。日本でのカナ表記なんて信じてはいないけど,フィンランド人の発音を聞いた事がないので,アルヴァ"ル"・アアルトみたいに自信を持っては書けないんです)が1969年にデザインした物です。40年目の今年,企画展が催されていました。
食器を買った初日,観光局で展覧会がある事を知ったのですが,博物館自体には前にも行っていてその規模を知っていたし,企画展だってどんなもんかワカランからなーと閉館時間も考慮せずに出向き,店内を見る前なら寄れたかも知れないのに,そう云う工夫もしないで店だけ見て帰宿。優先順位は低かったものの,併し猛烈に気になっていました。
そして最後の日,船旅と引き換えに,ここに行く機会を得ました。
そんなに広くはなかったけれど,過去のコレクションが並んで興味をそそられました。同じくカイピアイネンによってデザインされたパラティッシ以外のプロダクツもちょっとだけありました。その中にアピラも見つけました。私はマニアではありませんから,自分が選んだパラティッシとアピラがいずれもカイピアイネンの作だとは知りませんでした。って事は,私はカイピアイネンの画風が好きなんだな。



  

 

  

  

Montag, 28. September 2009

ヘルシンキのマーケット広場 Kauppatori

地元民の,そして観光客の為の市場。
フィンランドを代表するブランドが並ぶ通りが切れる場所にあり,遊覧船が出るここはいつも賑わっています。
魚屋さんのような食材店の他,観光客をあてこんでいるとしか思えない品を売る店も多数出ています。
ここを冷やかしていると八百屋の兄さんから「食わない?」とインゲンを差し出されますが,それが美味しかったとして,ホテル暮らしの観光客に何が出来ましょう。生で食べるしかありません。
そう云う誘いには興味がないんですが,ここは見ていると楽しい。スープを食べさせてくれる店,陶器屋,ガラス屋,洋服店,毛皮店(これには反対だ)と,意外となんでもあります。



  

  

  

上の羊君にスズメが乗っているの,判りますか?
このスズメ君,私が見ている間に角から降りてノタノタと石畳を移動し始めました。あまりのスローペースに「人間に踏まれるんじゃないか」とビクビク。近くのテントの裏に入るまで心配でずっと眼で追ってしまった。
船の時間を鑑み,ギリギリのところで市場を離れましたが,……結局船旅は出来ずじまい(この時の事でした)。まさかスズメ君を追っているうちに満席になったのか?
…いや,週末だったからだ。そうに違いない…そう思いたい。