Montag, 31. Oktober 2011

ソフィア中央駅 Централна гара София

先日ソフィアの公共交通をフィーチャーさせていただきましたが,ここでは鉄道駅を特集します。
今期は列車移動の必要がなかったので,この国の鉄道事情を垣間見る事はかないませんでしたが,特に残念とも思わず,駅だけ冷やかしに行ってきました。

地下鉄とは違って,予想通りの旧世紀建築。多少ヴィーンの旧南駅と旧西駅(こっちは現役ですけど)の要素も見え隠れしているような気がしますが,やっぱり東ですね。
薄暗いなりに清掃はゆきとどいていて小ざっぱりしています。ただ,兎に角案内がワカラン!また,自分のこの国の地方都市の知識が付け焼刃な事もあって,国のどこにあるのかパッと出て来ない。以下お示しした時刻表は国際路線の物。こっちの方が読めます。一部想像が入りますが,そんなに間違っていないのでは。ベオグラード,ブラティスラヴァ,ブダペスト,ブカレスト,イスタンブル,キエフ,リヴォフ,モスクワ,ミンスク,プラハ,…そのあとワカラン。
そして何よりのお目当ては,ロシア鉄道の列車を観る事でした。絶対あると思っていたモスクワ行きの車両が実際にありました(すぐ下の赤いロゴが入った車両がロシア国鉄の物です。現地からの資料…うーんこれは小さいな)。うわー,乗せろーーーーーーー。




  



  



  



  

交通記事で「バスの写真がない」と申しましたが,駅舎の画像に偶然おさまってましたわ。

Freitag, 28. Oktober 2011

ソフィアの乗り物

ソフィアの公共交通からは,ブダペストやリーガやヴィリニュス等等のそれと同じにおいがします。
バスとトラムの看板はこっちの世界共通。旧西の各国はここまで統制が取れていなかったように思います…。
総元締,鎌と鎚の国の要人にワイロで取り入ってタイアップ業者になった看板屋が全域のを一手に受注していたのか…この想像は飛躍し過ぎでしょうか(オリガルヒみたいだけど,おそらくは伝統的な手口でしょう)。とにかくこの勢いだと,本当にこのモデルはこっちの世界のどこにでもありそうです。
幼稚なキュビスムっぽい地下鉄のこれは,形こそ違えどプラハのとコンセプトが近い。意匠も東のノリです。さすがだ,と思います。
今日はソフィアの公共交通について,ちょっとばかりの記録とともに申し上げます。






先ずはトラムから。…東のトラム。さもありなんと云うボロさでした。いろんな色のトラムが走っていましたが運行法則は不明。色はバラバラでもボロさは共通。当然今日日のバリアフリー型なんて観ませんでした(導入されているのか?あの様子じゃムリそうだけど…)。
旧型の車両がギシギシ言いながら走っています。このオレンジ色の謎の小箱は検札器で,ベロみたいに出た金具の上に切符を差し込み,ベロを上に押し上げて刻印…だったか穿孔だったか,を自分でします。
このやり方,私は当地で初日に会った親切なお人が私の為に切符を出してくれたのを見て学びました。
だからバスにもこの小箱がついている,って事ですね。
私はこの親切なお人に期間券を買(う為に代わりにしゃべ)ってもらったので,結局その後ベロを押し上げる事はありませんでしたが。


  


地下鉄。この地にあるまじきちゃんとしたインフラです。ホームもそうですが,駅舎(潜ってるけど)や地上との連絡口までもがきれいに整備され,デフォルトイメージとの違いに驚いてしまったものです。
あまりにヒドくてどこよりも先に手をつけたのか,国際イヴェントでも招致する為にここに金をかけたのか,事情はわかりませんが,とにかくきれいになっていました。ただ,始点から終点まで移動したワケではありませんので,全ての駅がこうかはわかりません。
車輛は但し,年季が入ってそうです。ブダペストで走っているのと非常によく似ています。

  

  


バスはここに載せたトラムと同じ配色の物が全域を走っています。町の中ではあまりバスを意識せず,実際に利用する段にいたっては写真なんか撮ってる精神的余裕はなく(イライラの極致)。しかしトラム同様ボロです。古いので,当然老人に優しくありません。1段40㎝はあろうかと云う段差を2度クリアした者でないと乗車出来ません。
舗装が悪いせいか,それなりに揺れます。
うーん記録する価値もない物だと思ったけど,こう云うのを記事にするからにはなんでも撮っておくべきだったな…。




オマケ。パトカー。

Mittwoch, 19. Oktober 2011

ボヤナ教会 Боянска църква

8月22日23時46分の書きかけ記事です。今日からブルガリア記。

一度ダメと思ってしまったらそれで終わり…それが私の基本的な思考/行動様式です。
人が相手だと…例えば望まずとも暫くの間一緒にいなきゃならなくなった時なんかは好転する場合もありますが,大抵の場合ダメです。
ここソフィアで,その自分の傾向が炸裂しています。当地滞在は明後日の午前まで。もはやガマン大会の感もあります。
明日が終わるまでに,ここを好きになれるだろうか…。






今日はソフィア郊外にあるヴィトシャ山麓のボヤナ教会を観に行って来ました。
町の中心からトラムで随分進み,路線バスに乗り換え現地入り。これだけでもクソ暑い中勝手がわからず随分疲れました。
どうにかたどり着き,敷地に入り券売所を覗くと「今日はタダだよ」と言われ,ちょっと気をよくしました。信じられないくらいフレンドリーな若いネコがその下で座っていて,ひとしきり遊んでいると券売所のオバチャンに「入場の時間だよ」と言われました。一定人数が集まるまで待つのか時間を決めているのか,とにかく一日中開けているワケではなさそうでした。声をかけてもらえなければずっとネコを構い続けて閉館時間を迎えてしまったろうから運が良かったと言えなくもないですが,ま,入ったワケです。

誘導する係員は老翁でしたが英語を話せ,私に「壁の案内を読んでてね」と言いました。私は氏がすべての客を中に入れる等準備している間,読んで待っていろと言われたのだと解釈。ブルガリア語と英語でのガイドツアーを想像していました。
ところが,いくら待ってもガイドはブルガリア語でしか解説を加えないのです。ドイツ人が混じっていましたが,その連れがブルガリア人だったからか,繋がりを持たない者である私と,フランス語を話す御夫人をないがしろにしました。
壁の英語案内なんて,本で言ったら目次くらいのもんです。バカヤロウ!それで外国人観光客が満足するとでも思ってるのか!!
内部は撮影禁止。見事なフレスコ画が壁いっぱいに描かれていましたが,なにしろ解説を受けておりません…。
私は喋れるクセに喋らないこのジジイ(だんだんクチが悪くなってきた…)に対し,氏の指示で客が外に出される際も,普段は言っているアリガトウを言いませんでした。大人気ないですが。

ムッとして外に出て,さぁ市心に帰ろうとバス停を探すも,降りた辺りに逆方向行きの停留所が見つからず,ひとつ前の停留所まで歩きました。ブルガリア語はキリル文字を使う言語でロシア語とも多くの言葉を共有していますが,こう云う時に限って看板は自分のロシア語知識を全く活かせない言葉だけで出来ている。地図を片手にどうにか「この番号は私の望む場所まで行くだろう」と判断したバスは,時刻表どおりならすぐ来る筈なのに気配すら見せない。他の番号の路線が定刻に到着しているのに,です。

併し自力で歩いて帰るには郊外に出過ぎていたので,更にもうひとつ先の停留所まで歩きました。そこにはバスを待つ客が数人いて,そこで待つ事で不安感は薄まりました。
やがてバスは到着,私は出発地まで戻る事が出来ましたが…
安堵とか感動とかポジティヴな感情はなく,只管イライラしてました。

ブルガリアに来て3日めですが,当初のマイナスイメージは覆される事なく,今日のこれで却って強化されてしまった感があります。
そうです。私はこの程度の事でゲンナリするほどの温室育ち。まだ15ヶ国くらいしか加盟していなかった頃のEU諸国がスタンダードなんです。
他の大陸なんて…絶対に行けそうにありません。私のこの頑さでは,インドに行っても人生観は変わりますまい。
勝手に来て勝手にイライラしているワケですから,この国にしてみればいい迷惑でしょうけど,一応は金を落としているワケですから,少しは発言してもよかろうもん。
あー,早く出たい。




この子がいなかったら,今日の私に救いはなかった。アリガトウ,愛してるよ。

Mittwoch, 12. Oktober 2011

ケルン,氷山の一角… Köln

ケルンの見所…ビックリするくらい撮っていませんでした。町並み,名所,オモロい物,…ホントにない!!
引っ越しやら遠征やらと,町を堪能している場合ではなかったと云う事情もありますが,いちばんの原因は人と一緒の事が多かったからでありましょう。それはそれで楽しく喜ばしい事ではあります。

ケルンと云えば大聖堂です。ケルン自体が初めてではない(そして初めての観光客がここを逃す筈がない)事もあり,近くにい過ぎて逆に寄り付かなかった…。実は私の場合,鉄道で南方からケルンに入る時に見えて来る大聖堂に最も感激するんです。あーケルンに着いたんだなぁ,と。




   

  


昼は人と一緒でも夕方一人になれば建物探訪もしたでしょうが,今期は飛べるかわからない状態が長く続いて予習が滞り,資料の乏しさを理由にこの道の活動を断念。ケルンほどの大きい町なのにもったいなかった…。
ところで,これには驚きました。下段の鍵。私,これは東の名物だと思っていましたが,こんな西ちゅうの西でも!東でしか見た事なかった(サンプルふたつ。これと,これ)のに…私の眼が節穴だっただけ?


 

 


ケルン最後の週末,町ナカのひとつの通りでフォルクスヴァーゲンとゲーム(wiiとPlaystationが特に目立っていた)のイヴェントが催されていました。同じ通りで同時にふたつのイヴェント。客層メチャクチャです。
フォルクスヴァーゲンに雇われたコンパニオンみたいな姉さんが社ロゴの紙旗を配っていました。私はそれが欲しくて前を何往復かしたんですが,手に入らなかった…ガッカリ。


 

 

Freitag, 7. Oktober 2011

メンヒェングラートバッハのアプタイベルク美術館 Museum Abteibelg in Mönchengladbach

8月19日23時11分の書きかけ記事です。

私のケルン生活は今日で終わりです。
楽しかったなぁ。結構名残り惜しいです。残念ではありますが,次の渡航費用を稼ぐには,理性的にならなければいけません。そう,私のベースはあくまで日本。これが現実なんだな。嗚呼…。
本当は受け容れる事が出来てますけどね。

さて,私はいつも荷積めにやたら時間をかけているのですが,今回はどう云うワケか昨日の下準備を合わせて30分やそこらで出来てしまいました。なんでだ!?今までのはなんだったのか?そこそこ物も買ってるけどなぁ…。

今日はちょっとの間お仲間と過ごして荷積めに集中しようと思っていたのですが,下準備に気を良くして結局遠足してしまいました。行き先はメンヒェングラートバッハ。とは云え私の目的はアプタイベルク美術館だけです。
7年ぶりのメンヒェングラートバッハですが,その7年前もアプタイベルクだけを目的に訪れたのでした。ここはそこそこ有名な現代美術館で,展示物もそうですが,建物自体もハンス・ホラインですから,しっかり観なければいけませんな。

すぐ下には公園があり,芸術作品が数点,青空展示されています。ここもまたステキなところでとても居心地がよい。最後の日,最後の活動だった事もあり,ずっとここにいたいなーと思ったものです。