Mittwoch, 4. Dezember 2013

連帯 Solidarność

グダニスクの名を初めて認識したのは小学生か中学生の時。
「連帯」「ワレサ」とセットで憶えました。当然内容なんて解りません。その割にこの名称のセットは私の脳にこびりつき,グダニスクに行く気になった時もなんとなく頭にありました。

知恵がついた今では,リーダーの名のカタカナ変換が不勉強丸出しのいい加減なものである事も知っています。そう,より原語に近づけて書けばヴァウェンサと読む,後に大統領になった人物に率いられてレーニン造船所で起こったストに端を発して最終的に民主化運動にまで発展した非政府系の労働組合がこの連帯であります。

…と,ここまでは教科書的な知識でどうにか書けたものの, 民主化の必要がなかった日本で生まれ育った私には感覚での理解が難しい世界です。
こう云うハナシはポーランド人のお友達ともした事がなくて(「チェルノブイリの頃は…」はした事あるんですが)。



本駅の側から進むと遠方にこれが見えてきます。結構な大きさです。無機的な素材で作られた碑がこの国には多くあるような気がします。



下方はこんな感じ。ソから逃れようと云う運動だった割に,その記念碑が東らしいコンセプトで制作されています。象徴的な人々の像,年の表記。内側の皹も何かの演出なんでしょう。




ポーランドは周辺の大国のエゴに振り回され他では考えられない量の血を流した国であり,さまざまな事件による犠牲者を偲ぶ碑はいたるところにありますが,ここに彫られている皆さんの没年は1982年…ついこの前と言ってもいい。生々しい。

もうちょっと濃く書ければいいんですが,これ関連の博物館に行く時間がなかった事による不勉強からそれはムリ。まぁどこに行くでもそうですが,ポーランドは特に,歴史を知ってから行くべき国だと思います(私の知識には相当な偏りがありますが…)。知らないとただの観光旅行になってしまいます。



暴動当時は前述のとおりレーニンを冠していた(この名前が全てを物語っている!)造船所は,今はグダニスク造船所と呼ばれています。中に入ってはダメでもなさそうでしたが,この雰囲気を前に引き返しました。


造船所?の柵の向こうは,使われているんだかいないんだか…でした。虹が出てた。

Keine Kommentare: