Donnerstag, 22. September 2011

ボン Bonn

8月12日18時50分の書きかけ記事です。

今日は学校を飛び出してボンに遠足しました。
学校の授業よりも早い時間に集合時間が設定されました。意外にもメヒコ人やスペイン人が時間を守ったのに,我等が講師はそこに現れず。どこか遠くから観ていたのか,気づいたら輪の中にいましたが,我等が講師は授業中電源を切るように言われている携帯が鳴ると授業を数分空けます。携帯が鳴る時点で当局の者としては失格でしょうが,一向にやめる気がない模様。いいんだろうか。

と,昨日ここまで書いて,以後まったくWLANが繋がらなくなりました。
ログアウトしないまま接続を断たれ,何度試みても復旧せず,怒り心頭の中断念して荷詰めに戻り,……そうです。ここで「ケルンの部屋(1?)」の「1?」が意味を持つようになるのですが,市内で引っ越しをしました。それについては次の記事で。



ケルンからボンへの遠足…こんな観光客でも思いつくようなベタな所より,もっと穿った行き先を考えて欲しいものです。このコース,既に自主的にやってます。
ただ,こう思うのは私くらいのものらしく,参加者は割と嬉々としていました。
ボンには連邦共和国歴史館があります。ま,ベルリンのドイツ歴史博物館から現代のパートだけ抜き出したような施設で,充実は充実なんですが,ベルリンだけ行っときゃいいんじゃないの…?と思わないでもないです。
遠足と云っても教員は町の広場とこの歴史館に導いただけ(歴史館ではそこ所属のガイドさんに丸投げすると云う体たらく。ま,専門家と話す方が為にはなりますが,このグダグダの姿勢にはムッとした)で,あとは勝手にしろとばかり他の行事手配を言い訳に,先に逃げ帰りました。僅か半日の遠足でした。
生徒も生徒で誰一人ボンに残る事を希望せず,バカ正直にケルンに戻りました。私もボン自体に興味はないので同行(切符に制約があって団体行動が大原則だった)。その後大聖堂とルートヴィヒ美術館へ。
…思い返すと,こっちの方が楽しかったかも知れません。


  

  

  




やっぱりボンと云ったらこの物件か。

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