Donnerstag, 20. Januar 2011

ヘルシンキの大晦日 uudenvuodenaatto

今週の火曜日から,「世界の車窓から」がシベ超ことシベリア鉄道をフィーチャーしています。
感激であります!!ロシア号で西進。当然ウラジオストクを出発するワケですよ。初めの10日くらいは休むワケには行きません。嗚呼よみがえる去年の黄金週。少なくとも我が町(言い切っちゃっていいのか?)ハバロフスクに着くまでは皆勤を目指します。
勿論その先にも興味があるので,アムール鉄橋を越えたからと云って観るのをやめる気はありません。ロシア号を降りて,更に西に向かったりはするのかな?その場合はもしや?…んー,気になる!
…シベリア鉄道に切り替わる前はオーストリアだったのに,今ほどのワクワク感はありませんでした。ロシアに較べればずっと“ホーム”なんですけどねぇ。
とにかく,これから3カ月,至極楽しみであります。

それでは本題。12月31日22時00分の書きかけ記事に,大幅に加筆しました。

今日は大晦日。ヴィーン,ベルリン,ハンブルク,チューリヒでは華々しく,ブラティスラヴァではショボ…いえ控えめに,晦日のイヴェントが催されている事でしょう。
ハンブルクとブラティスラヴァは知っているうちに入らないので(前者の場合想像はつくけど),私は残り3都市しか知りません。ヨーロッパ大陸を離れての年越しはこれが初めてです。

町には酔っ払いがあふれ,花火を打ち上げるので二重の意味で危ない。私はこれがスゴく嫌いなのです。この時期にしか休めないからヨーロッパで年越しをしているものの,晦日イヴェントが目当てではないので,特に毎年のように出向いているヴィーンのイヴェントなんて観に行く気がせず,とっとと宿に戻って荷詰めをするのがデフォルト。
さっき大聖堂付近だけ観て来ましたが,ヴィーンに慣れてしまっている私には地味に映りました。でもその方がこの国らしくて好ましい。地味だけど,みみっちいと云うイメージはありません。ケバケバしくなくて淡白。清楚と表現してもいいかも知れません。虚飾を是としないこの国の人の心意気とも関係あるんだろうか。ヴィーンはヴィーンでああでなければ寂しいけれど,ヘルシンキも好印象。



  

大聖堂前広場が予想通り(あまりにベタ。多分誰もが思いつく事でしょう。そしてそれは正解です)晦日行事の重要ポイントでした。そばには国営放送の中継車。大聖堂の前にはナゾの十字架。
しかし大事な時だとは思うのですが,町に人が溢れてはいないのです。この右端。まるで生気がないでしょう?

  

大聖堂前の広場にはこのようなステージが特設され,ライヴが行われていました。やってる人もダウンだよ…。
これが夕方の様子です。ただ,上述のとおり人出が少ないからライヴ中なのにこの調子。スカスカなんです。これでいいのか?これじゃあヴォーカルさんも凍える思いをしてまで小奇麗な衣装を披露する気にならないか。…いや,氷点下ではいくら身体を動かしていてもこの格好以外はムリか。

  

港で花火が上がると土地の人に聞いたので,日付が変わる頃,行く気になったら行ってみようと思っておりましたが,私の宿から見える筈だと読めてしまってからは外出が億劫に…。行く気になりませんでした。
実際に花火は見えました。ヨーロッパでは珍しく,日本でよく見られるタイプの花火が打ち上げらていました。この画ではそんなに大きくは見えませんが,実際にはそれなりの距離がありながら迫力ものでした。2尺は確実だろうな。或いは3尺?
背の高い建物に視界を遮られないので,この町では高く揚げる大玉の良さが堪能出来ます。

  

と云うワケで2011年をホテルの部屋で迎えてしまった無精者の私ですが,初めての晦日がこんなんでいいのだろうか(ヴィーンの晦日,初めのうちはマジメに見物していたので)と一念発起し,日付けが変わってから不毛な外出を試みました。
ついさっきまで要人(大統領でない事だけは判ったけれど,首相なのかヘルシンキ市長なのか,そのどちらでもないのか)がスピーチしていた特設ステージは既に真っ暗,大聖堂のライトアップは通常の冬期ヴァージョンに戻り,余韻を楽しんでいるふうの人々がだらしなく酔っ払っている(彼等から聞こえてくるのは大抵ロシア語)以外にはどこが晦日仕様なのかわからないくらい,いつもと一緒に見えました。



ただ,こればかりは日常風景ではありません。1時半でこの人だかり(タクシー列)。私も夜更かし王なので知っていますが,首都でメインを張る鉄道駅の前なのに,何事もない時,夜歩きしている人はすごく少ないのです。


明日の夕方,ベルリンに移動します。明日からの宿では公共ロビーでしかWLANが使えません。自分の部屋で使えないのは不便ですなぁ。

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