Donnerstag, 14. August 2008

国家社会主義の遺物 ehemaliges Reichsparteitagsgelände und Schwurgericht

ニュルンベルクはナチにとって重要な場。党大会場として,そして敗戦後は戦犯が裁かれる場として選ばれました。悪名高きナチの人種法律の通称にも使われています。
ドイツは戦後,こうした負の遺産の一部を残して,教育(子供が学校で受ける物のみをさしているのではない)の資料としています。
これがネオナチにとっては崇拝対象になるようで(“記念日”にゆかりの場所で集まったり),諸刃の剣と言えない事もないでしょうが,ま,自国の過去に目を向けて,こんな事は二度とないようにしましょうと云う高潔な思いを内外にアピールしているワケです。
党大会場跡地の多くには当時の様子を説明する板が設置されています。これ,私が前回訪問した時(2002年冬)はなかったように思われます。サッカーワールドカップの前に整備されたんだろうか。

以下お示しするのは,数あるニュルンベルクのナチ物件の中でもメジャー級の施設です。




Kongresshalle (Dokumentationszentrum Reichsparteitagsgelände) - 議場。一部は現在,ナチの勃興から終焉及びその後を詳しく説明した博物館(どう訳したら相応しいか…)として機能。

   


Große Straße - 大通り。党大会(限定かは不明)パレードの為の通り。カイザーブルクに通じ,新旧を繫ぐ象徴としたかったようだが未完。

 


Luitopoldhain - ルイトポルトハイン。マスゲーム会場。


  


Ehemalige SS-Kaserne - 親衛隊練兵場。

 


Zeppelintribüne und Zeppelinfeld - 総統お立ち台と,その前の広場。 現在,広場はサッカー施設。

  

 


Schwurgericht Saal 600 - ニュルンベルク裁判が行われた600号陪審法廷。 諸々の案内にはこの建物の写真がよく登場するが,実際はこの奥にあるもっと小さくて華のない建物の中に法廷はあった(裏の監獄との連絡が良かった事が,ここが選ばれた理由の一つ)。

  

 



ニュルンベルクに限らず,ドイツではこの手の遺物が現代にも残り,転用されています。ベルリンにある日本大使館もナチ様式の代表建築物です。ここでは,大通りの端っこで市民祭が行われています(この時点では始っておらず,設営準備中の様子)し,ツェッペリンフェルトは現在サッカー場。尚,2006年のサッカーワールドカップの試合前(どことどこ…?全然憶えとらん),K取S吾がここに立って意気揚揚と喋っていましたが,…いや,神妙にするのも違うとは思いますけど,氏,何が起きた場所か,わかってたんだろうか…。

 

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